ブログ・エッセイ


加齢、良いこと、嫌なこと、ゆったりした朝食、蚊取り線香、ワークマン、穴をあける

歳を取った。いくら言っても詮ないことだが歳を取ってしまった。
歳をとって、もちろん、嫌なことや辛いこと、口惜しいことや、じれったいことなど数あるが、それでも良いこともある。
たとえば、お金を稼ぐ仕事をしなくてもよいことだ。年金でささやかに暮らせば何とかやっていける。週一度の非常勤もめでたく修了(終了)した。
若いころは、働くとか、仕事とかに、意欲もあり体力気力もあったから、相応に仕事ができた。生活費も稼がないといけなかったし、それができた。
しかし歳を取ると、(うまくできているなと思うのだが)、仕事ができなくなるものだ。体力面気力面で、早や、やっていけない、ついていけない。自分相応の趣味的な仕事はできるのだが、お金をいただくような仕事は、よほど考えないとやってはいけない。
そんなこんなで、歳をとって良いことは、仕事の義務がなく時間の制約もあまりなく、したがって、たとえば朝にゆっくり食事がいただけるということだ。これは得難い「良いこと」だ。ビデオに取っていた再放送の朝ドラ「あまちゃん」もゆっくり観ることができる。景色のきれいそうなそして出演者がうるさくなさそうなプレミアムカフェの番組も録画で観ることができる。「クラシック倶楽部」なども出演者の経歴などゆっくり見られる。他にも歳をとって良いことと思われることはありそうだが、これが思いつく一番の贅沢だ。
そして、歳をとって切ないこと、それは失敗が多いことだ。まあ失敗はやむを得ないとしても、その失敗が、なんというか、避けることができそうなものなのだが、やっぱり失敗してしまうという切なさだ。体がついていかないということもある。気力がその動作の前にしぼんでしまうこともある、そしてもう一つ、ひと手間一動作をすればうまくいったのに、それをしないで失敗に至るというやつだ。今朝もそれをやってしまった。
今朝もまた、「早朝畑」に出かけた。畑に着いて、腕には袖口が汚れないようにと腕カバーをして、足から膝までのカバーもして、携帯用の蚊取り線香をつけてぶら下げて、万全の態勢だ。今日は、きく菜とほうれん草の種を蒔いた。そして、ささやかな収穫をして帰ろうと、畑に持ち込んだ椅子に座りテーブルに置いたお茶を飲んだ。そして、ぶら下げていた携帯用蚊取り線香の上ふたを開けて、残っている線香の先の火のついている部分を折り取って帰路につこうとしたのだった。
蚊取り線香ケースに線香を押し付けて火のついた部分を折り取ろうとしたのだが、その火のついた先が、まことに不運なことに、わたしのズボンの右下のポケットに入ってしまった。ファスナーをあけたままにしていたのがまずかった。あれあれしまったとポケットからその火先のちいさな線香を下に落とそうとするが、あせってしまってますますポケットの中に入ってしまう。
このズボンは、汚れがすぐはらえるようにと、電動自転車を30分ほど駆ってワークマンで購入したポリエステル製のものだ。よごれはすぐはらえるのだが、ポケットに入った蚊取り線香の火先ははらい落とせない。ポリエステルだから、ちりちりとすぐに黒焦げがついて穴が開く。しかたなく最後の手段、やけど覚悟、指でつまんで地面に捨てた。
ポケットの中には小さいながらもいくつか穴があき、ズボンの外側も黒く穴ができた。そしてわたしの指には水ぶくれだ。
歳をとるとだめだなと思うのはこんな時だ。この小さいながらも「惨事」を起こした原因は、わたしが蚊取り線香の火先を折る作業を、膝の上でやったからなのだ。後から考えてみると、この失敗は避けることができたはずだった。膝の上で火先を折らずに、すこし体をかがめてテーブルの上でこの作業をすればこんなことにはならなかったのだ。
ひと手間、一動作、一工程をふめばこんなことにならなかった。そんなことはわかっている。分かっているのだが、それができない、それができないでしないでこうした失敗をする。これが歳を取るということなのだ。残念な加齢の現実に、何十回目かの深刻な反省をしながら、ともあれ、加齢のよい部分であるところの、ゆったりとした優雅な朝食を、大友良英のテーマ曲を聴き「あまちゃん」を観ながら食べたのであった。
2023年9月14日 記