ブログ・エッセイ


京都、ジャズ喫茶、メルヘン、マンホール、幻潜館

二階の仕事部屋に置いていたレコードプレーヤを階下におろしてアンプに接続したことから、またジャズレコードを聴き始めた。ジャズ喫茶によく行っていた学生時代の記憶がよみがえって、全国のジャズ喫茶一覧がないものかと思い、『スイング ジャーナル』誌の1968年と1972年の記事を国立国会図書館関西館でコピーしてきた。ここには、学生時代の京都で、わたしが行ったことのあるジャズ喫茶も掲載されているのだが、好んで出かけて行ったジャズ喫茶のうち載っていないものもあった。
この『スイング ジャーナル』誌の記事の他に、『ジャズ批評』誌にも、全国のジャズ喫茶の名前が載っていて、京都などもこちらの方が詳しいようだが、もとより網羅的な店名リストを作るのが目的ではないから、ここでは、『スイング ジャーナル』の記事に拠って載っているジャズ喫茶をまずあげてみる。
1968年の「全国ジャズ喫茶ガイド」にあがる京都の店は、荒神橋の「しゃんくれーる」、木屋町四条上ルと河原町三条上ルの「ダウンビート」、寺町今出川の「SMスポット」だ。1972年の「全国ジャズ喫茶所在地/電話番号一覧」に出るのは、河原町三条の「ザボ」、「しゃんくれーる」、「ダウンビート」二店、河原町蛸薬師の「ブルーノート」、熊野神社の「YAMATOYA」だった。

わたしがよく出かけたJAZZ喫茶は、神楽岡の下宿から歩いて10分ほどの北白川電停前の「メルヘン」だ。10席ほどの小さな店だったが、居心地がよくて開店からずっと居続けて、少年漫画と青年漫画を読み、『スイング ジャーナル』のページをめくったりした。開店が11時頃だったと思うが、開店から店に入り、1時ごろおなかが空いてくると、「ちょっと食事に出ます」と言って、店の向かいの、白水といったか、ここでお昼の定食を食べて、また店に戻ってジャズを聴いた。当時の店主はこんなことを許していたんだなと、今から思うと冷や汗が出るおもいだ。そして、どの店でもそうだったが、かかっているレコードのジャケットを立てかけて置く。レコードが変わると、その都度ジャケットを手に取ってみて、演奏者などを覚えたり、好みの演奏家を確認していったりした。また、これも、当時はどこでもそうだったと思うが、店所蔵のレコードリストを作っていて、リクエストも受け付けてくれたりした。このメルヘンがわたしにとっては一番なじみのあるジャズ喫茶で、いわばジャズの教室でもあった。この店はのちにここから京大北東門に通じる斜めの道の二階に引っ越したが、そこには一度も行かなかった。
さらに、街に出た時かならず寄ったジャズ喫茶は、四条烏丸大丸前のマンホールだ。河原町通りに沿ってはたくさんのジャズ喫茶もあったが、ここが落ち着いて気に入り、街に出たらここで時間を過ごした。
そのほかには、今出川通のほんやら堂向かいの幻潜館。ここもよく行った。つげ義春「ほんやら堂のべんさん」の、「お前さまはべらべらとよくしゃべるね」のあとの「ゴロン」に、すっかりやられてしまっていたわたしは、「ゲンセンカン主人」からとったと思われる幻潜館という店名がきにいっていたのだろう。
街でジャズ喫茶を見つけると、入ってみようと店に入るのだが、結局気に入った店は、このメルヘン、マンホール、幻潜館で、ここにばかり行っていた。YAMATOYAも下宿から比較的近かったが、一度雨の日に店に入り、靴をぬいで湿った靴下を乾かそうと足首をお尻の下に入れていたらマスターがきて、靴を脱がないでくれ、足をあげないでくれ、と言わて気分を害し、以降はこの店には行っていない。まあ、靴下が臭かったのかもしれないのだが。
幻潜館近く、同志社大学の裏手あたりの道の角に「SMスポット」と言う店もあった。わたしが行ったときには、浅川マキのような女性だったが、ここもブルーノートとは違った意味で敷居の高さを感じて、通うことはなかった。

旅行などに行ったら、時間の余裕があるときなど、ジャズ喫茶をさがして入ったりする。また夜にライブがあったりすると、出かけてみたりもするのも楽しみのひとつではある。でもまあ、学生時代のいわゆるモダンジャズであったり、「ジャズ喫茶」というようなものは、もうあまり存在していない。モダンジャズなんて言葉も、最近はあまり使われないし、ジャズ自体もずいぶん進化しているから、昔のままのジャズ喫茶などはもうあまり存在していないのかもしれない。とはいっても、わたしたちの世代が店主だったり、それを継承しているいわゆるジャズ喫茶もなくはないようだ。十数年前に定年退職した北山の職場から南に下った清水町にムーラというジャズ喫茶もそのひとつだ。ここでは校正の仕事などをよくさせてもらった。わたしが行くと、マスターは、エリック・ドルフィーの曲を音量あげてかけてくれる。いま、夜はライブ中心で、コロナ禍の苦しい状況のなかでも健闘している。
一度出かけてみたいものだと思ってはいるのだが、こんな状況では、腰を上げるのに力がいる。 2021年9月30日記

二階の仕事部屋に置いていたレコードプレーヤを階下におろしてアンプに接続したことから、またジャズレコードを聴き始めた。ジャズ喫茶によく行っていた学生時代の記憶がよみがえって、全国のジャズ喫茶一覧がないものかと思い、『スイング ジャーナル』誌の1968年と1972年の記事を国立国会図書館関西館でコピーしてきた。ここには、学生時代の京都で、わたしが行ったことのあるジャズ喫茶も掲載されているのだが、好んで出かけて行ったジャズ喫茶のうち載っていないものもあった。
この『スイング ジャーナル』誌の記事の他に、『ジャズ批評』誌にも、全国のジャズ喫茶の名前が載っていて、京都などもこちらの方が詳しいようだが、もとより網羅的な店名リストを作るのが目的ではないから、ここでは、『スイング ジャーナル』の記事に拠って載っているジャズ喫茶をまずあげてみる。
1968年の「全国ジャズ喫茶ガイド」にあがる京都の店は、荒神橋の「しゃんくれーる」、木屋町四条上ルと河原町三条上ルの「ダウンビート」、寺町今出川の「SMスポット」だ。1972年の「全国ジャズ喫茶所在地/電話番号一覧」に出るのは、河原町三条の「ザボ」、「しゃんくれーる」、「ダウンビート」二店、河原町蛸薬師の「ブルーノート」、熊野神社の「YAMATOYA」だった。

わたしがよく出かけたJAZZ喫茶は、神楽岡の下宿から歩いて10分ほどの北白川電停前の「メルヘン」だ。10席ほどの小さな店だったが、居心地がよくて開店からずっと居続けて、少年漫画と青年漫画を読み、『スイング ジャーナル』のページをめくったりした。開店が11時頃だったと思うが、開店から店に入り、1時ごろおなかが空いてくると、「ちょっと食事に出ます」と言って、店の向かいの、白水といったか、ここでお昼の定食を食べて、また店に戻ってジャズを聴いた。当時の店主はこんなことを許していたんだなと、今から思うと冷や汗が出るおもいだ。そして、どの店でもそうだったが、かかっているレコードのジャケットを立てかけて置く。レコードが変わると、その都度ジャケットを手に取ってみて、演奏者などを覚えたり、好みの演奏家を確認していったりした。また、これも、当時はどこでもそうだったと思うが、店所蔵のレコードリストを作っていて、リクエストも受け付けてくれたりした。このメルヘンがわたしにとっては一番なじみのあるジャズ喫茶で、いわばジャズの教室でもあった。この店はのちにここから京大北東門に通じる斜めの道の二階に引っ越したが、そこには一度も行かなかった。
さらに、街に出た時かならず寄ったジャズ喫茶は、四条烏丸大丸前のマンホールだ。河原町通りに沿ってはたくさんのジャズ喫茶もあったが、ここが落ち着いて気に入り、街に出たらここで時間を過ごした。
そのほかには、今出川通のほんやら堂向かいの幻潜館。ここもよく行った。つげ義春「ほんやら堂のべんさん」の、「お前さまはべらべらとよくしゃべるね」のあとの「ゴロン」に、すっかりやられてしまっていたわたしは、「ゲンセンカン主人」からとったと思われる幻潜館という店名がきにいっていたのだろう。
街でジャズ喫茶を見つけると、入ってみようと店に入るのだが、結局気に入った店は、このメルヘン、マンホール、幻潜館で、ここにばかり行っていた。YAMATOYAも下宿から比較的近かったが、一度雨の日に店に入り、靴をぬいで湿った靴下を乾かそうと足首をお尻の下に入れていたらマスターがきて、靴を脱がないでくれ、足をあげないでくれ、と言わて気分を害し、以降はこの店には行っていない。まあ、靴下が臭かったのかもしれないのだが。
幻潜館近く、同志社大学の裏手あたりの道の角に「SMスポット」と言う店もあった。わたしが行ったときには、浅川マキのような女性だったが、ここもブルーノートとは違った意味で敷居の高さを感じて、通うことはなかった。

旅行などに行ったら、時間の余裕があるときなど、ジャズ喫茶をさがして入ったりする。また夜にライブがあったりすると、出かけてみたりもするのも楽しみのひとつではある。でもまあ、学生時代のいわゆるモダンジャズであったり、「ジャズ喫茶」というようなものは、もうあまり存在していない。モダンジャズなんて言葉も、最近はあまり使われないし、ジャズ自体もずいぶん進化しているから、昔のままのジャズ喫茶などはもうあまり存在していないのかもしれない。とはいっても、わたしたちの世代が店主だったり、それを継承しているいわゆるジャズ喫茶もなくはないようだ。十数年前に定年退職した北山の職場から南に下った清水町にムーラというジャズ喫茶もそのひとつだ。ここでは校正の仕事などをよくさせてもらった。わたしが行くと、マスターは、エリック・ドルフィーの曲を音量あげてかけてくれる。いま、夜はライブ中心で、コロナ禍の苦しい状況のなかでも健闘している。
一度出かけてみたいものだと思ってはいるのだが、こんな状況では、腰を上げるのに力がいる。 2021年9月30日記