ブログ・エッセイ


臼井吉見、『安曇野』、『展望』、『ガロ』

臼井吉見、『安曇野』、『展望』、『ガロ』

先に書いたように、『安曇野』の三度目の読み直しをしている。年齢的に考えて、もうこれからたくさんの小説は読めないだろうから、これまでに読んで面白かったもののうち、長編小説を読み直すことにし、『安曇野』を読み返すことにしたのだった。
『安曇野』は、明治時代後半以降が舞台であるから、そこには興味を惹かれる人物が多く登場する。そこでもう少し詳しく知りたいと思った人物に関する本を図書館で借りて読んだりする。小説『安曇野』を中心において、その相関図の輪郭を少しずつ色濃くしていこうということである。たとえば、中原悌二郎や中村彝の画集をあらためて見てみたり、田中正造の評伝を読んだり、岡田虎二郎について読み直したり、という具合だ。
いまはコロナウイルスで動きにくいが、安曇野の井口喜源治記念館や臼井吉見記念館などゆっくり訪ねてみたいという魂胆もある。もちろん碌山の美術館なども行ってみたいのだが、個人記念館で展示資料をゆっくり見るのが楽しいから、そうした老人旅行の楽しみを確保しておくためにも、『安曇野』を読み返すことにしたのだった。
今回は、雑誌『展望』のことを論じた『一九七〇年転換期における『展望』を読む 思想が現実だった頃』(筑摩書房 二〇一〇年)を読んでみた。読んだといっても目を通したのは主として編者の「展望」論だ。すでに書いたように、六〇年代後半から過ごした学生時代の愛読雑誌は『展望』だったから、本書に収録された論考はおおむね覚えがある。
この『『展望』を読む』は、四人の編者によって選ばれた展望論文とその論評、四人の座談会から構成されている。この編者四人の生年と専攻を書いておくと、大澤真幸(1958年、理論社会学)、斎藤美奈子(1956年、文芸評論)、橋本努(1967年、経済社会学)、原武史(1962年、日本政治思想史)である。この四人が選んだ5、6点の論考とともに各自の論評というか思い入れというか広い意味での解題というか、そのような文章が載っていて、それぞれに面白かった。
大澤真幸「『展望』から展望する」は当時の時代状況をよく書いてくれているし、原武史は座談会で「鉄道オタク、団地オタクの」と発言しているように、思想状況を中央線と西武線の比較に整序して書いた「中央線の空間政治学」を載せている。巻末の四人の編輯委員による座談会は、諸論文と状況との関連性が濃密で、面白く読んだ。臼井吉見『安曇野』は原が選んだなかに入っている。
この四人の選んだ展望論文は、その専門というか領域というか、四人の関心分野から選ばれたもので、それぞれになるほどと思われるものだが、当時わたしが読んでいたものでここに含まれていないものもあるにはある。例えば森有正と平田清明だ。いまこの二人の思想をよく説明する力量はわたしにはないが、この性格の異なる研究者の論考を、当時は、なにかその時代の流れに沿うよう、同時代的にといってよいか、そんな切実な思いで読んでいたような覚えがある。
そういえば、学生時代に、状況と同伴させて読んでいた、というか同伴させざるを得ないように読んでいた雑誌に『ガロ』がある。当時漫画は、少年誌から青年誌まで幅広く読んでいたが、『ガロ』にはやはりなにか特別な思い入れがある。先の『展望』と同じような企画があり、出版化されているとしたら、『「ガロ」という時代 : 創刊50周年記念』(青林堂 2014年)であろうか。これもいちど見てみることにしよう。 (2020年9月29日 記)