ブログ・エッセイ


東福寺、伏見稲荷大社、旧東海道線、JR稲荷駅、ランプ小屋

昨日は呼吸器の診察で東福寺にある病院に出かけた。出かけるといったら、週に一回の非常勤を別にすれば、こうした病院通い、ということになってしまった。
いや、そうではない、この4月に日本テレマン協会の会員になったことから、月に一度は淀屋橋の大阪倶楽部に出かける。演奏会のあと、知人と顔を合わせた時には、ビールがおいしい近くの店でビールを二杯ほど飲んで帰るのも楽しみになっている。老後の楽しみは家庭菜園の畑ぐらいか、と悲観していたが、結構楽しみも持っているじゃないかと再確認。
昨日の病院の帰り、JR稲荷駅のランプ小屋を見に行こうと思って、東福寺の塔頭や山門前を通り、住宅街を抜けて歩いてみた。すると静かな住宅街から、突如として人通りの激しい道が前方に見えてきた。そうか、伏見稲荷か、その観光客でごった返しているのだ。過半は外国人のようにみえる。蒸し暑く雨降りも多い7月の半ばだというのに、もうこれは四条河原町以上の雑踏だ。少し考えてみるとそうかと思うこともある。いまの季節は祇園祭だし、観光客諸氏は、このあと山鉾巡行を観ようという魂胆なんだな。
先を急ぐわたしはというと、伏見のお稲荷さんの門前でぺこりと一礼して稲荷駅の南にあるランプ小屋へ向かう。ランプ小屋はすぐにわかった。
さて、伏見駅のホームに上がってみるべきか、下から見るだけにとどめるか、しばし迷ったが、帰路は京阪電車なので、入場券を節約して下から写真を撮るだけにした。
この稲荷駅、もともとは旧東海道線の駅である。東山のトンネルが難工事になると予想され、それを避けて京都から南下して稲荷へ、そこから再度北上して大谷を経由し大津に至る旧東海道線の駅だ。明治一一年に京都-大津間の建設が起工となり、大阪の藤田傳三郎が起用されて工事が始まる。
このように東山のトンネル掘削は回避したのだったが、大谷と大津との間はいずれにせよトンネル工事が必要であった。それは逢坂山トンネルとして掘削がなされた。本邦初の山岳トンネルだ。お雇い外国人の力を借りずに日本人独自の体制で成し遂げたものであった。こうして明治13年7月、京都―大津間は開業となるのだが、稲荷駅のランプ小屋はこの時期のものである。案内板には、旧東海道線の建物として残った唯一つのもので国鉄最古の建物とある。
実は古いランプ小屋は、当初金ヶ崎駅と呼ばれた敦賀港駅にもある。明治17年4月に柳ケ瀬トンネルが完成して北陸線が開通したその時のものだ。それはこの稲荷のランプ小屋より少し遅れて建てられたものだ。
この金ヶ崎のランプ小屋は、補修復元の工事が成って公開されているそうなので、稲荷駅のランプ小屋をみた勢いで、この敦賀のランプ小屋も見に行ってこようか。敦賀まではJR西の「関西1デイパス」3600円也を奮発して行くことにしよう。
そうこう考えてみると、まんざら老後の楽しみもないでもないかと、そんな気もしてくる。 (2019年7月13日記)