ブログ・エッセイ


資料調査、愛知学泉大学、名古屋商工会議所、大阪市立大学、資料の共有資源化

日満実業協会満洲支部が刊行した名簿など、満洲国の組合や団体名簿を調べる必要が生じて、前任校の京都ノートルダム女子大学図書館に紹介状を書いてもらい、愛知学泉大学の資料調査に出かけた。愛知学泉大学はキャンパスをふたつ持っていて、この資料は豊田キャンパスの図書館に所蔵だった。名古屋駅から相互乗り入れの地下鉄と名鉄の路線で三好ヶ丘まで行き、そこからはスクールバスで大学まで行く。この名古屋からの時間が結構かかることから、往路は新幹線を奮発して10時前に図書館にたどりついた。
日満実業協会満洲支部刊行の資料を閲覧するのが第一目的であったが、あわせて新京商工公会刊行の名簿や、満洲各地の商工公会の刊行資料の閲覧も事前にお願いしておいたので、あわせて二十数冊を拝見することができた。なぜ愛知学泉大学にこのような満洲国時代の商工関係資料が充実して所蔵されてあるのかというと、それは名古屋商工会議所から、戦前期の資料を中心に寄贈を受けたからだという。
つまり、戦前期外地の商工関係資料を例にとれば、戦前期外地の商工機関が出版物を刊行し、それらが内地の名古屋商工会議所に寄贈され、名古屋商工会議所が所蔵してきたこれらの資料が、今度は愛知学泉大学に寄贈され「名商資料」と名付けられて整理保存され、わたしを今回わたしが利用させてもらっているというわけだ。受贈の資料は約10万冊、これらの資料は今も整理中であるという。
こうした資料は、いわば今すぐに役立つといった種類の資料ではない。まことに地味で古くて痛みも大きい資料群である。しかしながら、これら資料の中には、他の図書館には所蔵のない資料も数多く、しかもそれらがまとまって残されているのだ。不要不急の資料群と考えるべきではない。歴史的で貴重な資料であることは間違いないのだ。愛知学泉大学の図書館が受け入れてくれて整理保存をしてくれている。関係者のご努力に頭が下がる。
名古屋からの帰路は、経費節約と列車に乗る楽しみから、在来線利用だった。その快速列車で、暮れなずむ車窓からの風景をぼんやり眺めながら、今回はおかげさまで有意義な訪書だったなと感謝しつつ、京都に帰っていった。
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そして昨日は、この同じ流れの調査で、紹介状をもって大阪市立大学の図書館に閲覧に出かけた。目的の資料は、NACSISでみると、滋賀大学と大阪市立大学の二館の所蔵資料で、滋賀大学の資料はすでに閲覧をすませていた。滋賀大学で閲覧した資料なのだからもうみる必要もないようなものだが、実は、本体名簿と追録と索引と、この三種の関連資料の刊行順序がいささか錯綜し混乱していることから、この大阪市立大学の資料がひょっとして滋賀大学のものとは違う版のものではないかと思い、念のために見ておこうと出かけたのであった。
大阪市立大学の図書館には、ずいぶん前にも一度紹介状をもって出かけたことがある。図書館の入っている情報センターは、キャンパス内の他の建物とは違和感のあるほどに大きな建物だ。目的の資料は取り置きされていて、閲覧については、滋賀大のものとの異同をみて、ほかに2、3確認をするだけだったから、持参したノートパソコンに必要な事項を書き加えて、20分ほどで作業を終えた。
そして、当初これは後日の調査にまわそうと思っていたのだが、この図書館で用が済めばと思い、スタッフに、紹介状の資料閲覧は終えたが、満洲国の年鑑を見せてもらうことは可能か、と聞いてみた。すると、スタッフからは、訪問利用資料以外の閲覧はできません、という返事だった。
実は以前に訪れた時もそのような対応だったし、他の図書館でも、学外からの利用についてはそのように応じている図書館もあることを知っていたから、さしてがっかりすることも腹の立つこともなかった。この年鑑は前任校にもあるし国立国会図書館関西館にも所蔵はあるからまた時間を取って出かければいい。「ついでにもうひとつ」と、軽く思ったわたしが間違いだった。大学図書館のスタッフも規則に従って動いているわけだから、仕方ない。
こうした対応は、概して大きな図書館ではそのようだ。まあ、外部からきて何でもかんでも利用を許可する、ってことは物理的に不可能との考えなのであろう。数日前に、愛知学泉大学の図書館で、追加の資料なども親切に見せてもらったり、商工関係の資料が納められている書庫も見せてもらったことから、ついつい軽い気持ちで尋ねてしまった。(2018年5月19日記)