ブログ・エッセイ


日文研、岡田虎二郎静坐法、大連静坐会、橋本五作

前職場の京都ノートルダム女子大学図書館で紹介状を出してもらい、京都洛西の国際日本文化研究センターにでかけ、『コドモ満洲』を閲覧した。創刊からの所蔵があり、よい勉強になった。
『コドモ満洲』は昭和6(1931)年創刊の児童雑誌で半月刊。小学校の補助教材として、一・二年用、三・四年用・五・六年用があり撫順中学校長に転任した寺田喜治郎が編輯主幹。五号までは『月刊撫順』(のち『月刊満洲』)の付録として刊行されている。濱田廣介や北原白秋らの作品の転載や抄録記事が目につく。『コドモ満洲』については柴村紀代「児童雑誌『コドモ満洲』の概要と特徴」(『児童文学研究』40号 2007年)があるので、それを参照しながら原本の誌面を繰っていった。
この「仕事」としての『コドモ満洲』閲覧を終えて、あとは楽しみにしていた日文研所蔵の『静坐』を閲覧する。日文研には、岡田虎二郎の静坐法関連の資料のうち、戦前期京都で刊行された『静坐』も残されてある。そのなかで、外地関係の静坐会会場などが第3巻3号巻末の「静坐案内」に載る。それを書きだしてみる。
1 旅順工科大学寄宿舎静座会(橋本五作、週5日7時20分から50分まで)
2 大連市天神町常安寺(橋本五作、毎月第1第3日曜9時から10時まで)
3 朝鮮京城府長谷川町田中嘉蔵宅(毎週月曜8時から)
4 台湾台北市佐久間町南門公会堂(小野田鎮三郎、毎週木曜午後7時から8時まで)
5 満洲長春三笠町2番地(赤木常盤、毎週水曜日午後7時から30分)
こうしてみると、『協和』に記事を書いた丸屋新三郎(「静坐によって喘息を治すまで十数年来の難病が半年の修行で快復」4巻11号 昭和5年6月1日)はこの大連の常安寺での参加だったのだろう。
常安寺は満鉄本社西の大広場から歩いて10分ほどの距離で天神町にある。その先は南山地区で、満鉄社員も多く住んでいたことから、満鉄社員の参加も多かったにちがいない。
一方の長春三笠町の静坐會の世話人は赤城常盤である。常盤の夫君は赤城洋行社主の槌右衛門で、常盤は槌右衛門と共に明治42年、長春家政女学校を創設した人物だ(『満洲芸術団の人々』曠陽社出版部 昭和4年)。
そして橋本五作は、旅順工科大学教授だったことから、職場である大学では、日曜と水曜をのぞいて週に5日、早朝に定例静坐会を開いている。さらに月2回の大連会場に出向いていたこともある。
大連の橋本五作だが、橋本は昭和7年9月に亡くなってしまっている。57歳という若さであった。その追悼文が『静坐』6巻10号に載っているが、そこに出るのは、愚堂生「橋本五作兄を偲ぶ」、佐藤佐一「故橋本五作先生の御病気に就いて」、日吉覚「橋本先生と福岡」である。先に『満洲紳士録』からその略歴を記したが、これらの追悼文に拠り補記しておく。
橋本は山形師範学校から東京高等師範学校に進み、明治37(1904)年に卒業、43年奈良師範学校に勤務した。明治45年4月10日に休職している(官報)。そして明治45年4月には早や静坐を始めている。埼玉師範、鳥取師範を経て、大正3年4月25日には950円の俸給で福井高等女学校校長。その後渡満し大正9年7月には旅順工科学堂教授、それを改称した旅順工科大学教授を務めた。『旅順工科大学一覧 大正15年4月至大正16年3月』では予科教授として英語を担当している。
この旅順工科大学では上記のように静坐会を組織したのだが、橋本は頻繁に内地に帰還し各地で各種の静坐会を指導した。大正11(1922)年には福岡県学務課勤務の藤伊八郎が主宰した福岡静坐実習会の指導も行った。大正12年には橋本が洋行したため休止となったが、大正13年からは毎年8月に福岡に出向いている。
昭和7(1932)年3月に旅順工科大学を退職し4月に帰国、しばらく福岡市荒戸に住まいした。かねてより福岡静坐会の懇請もあってメンバーが以前に探していた別府(べふ)の地に家を新築することとし工事にも取り掛かった。ところが昭和7年8月末に急性脳炎を発症してしまい、急な進行で9月1日には死去したのであった。追悼文を書いた佐藤佐一は静坐の仲間で、九州帝国大学医学部衛生学教室に勤務していた。
このように、静坐法の創始岡田虎二郎だけでなく橋本五作までもが若くして亡くなったことから、岡田死去後には、静坐が体に悪いのではないかといった風評が更に勢いを増すのではないかと憂慮された。そして橋本の遺志もあり遺族の了解も得たうえで橋本の解剖を行い、その結果をこの『静坐』誌上に公表して報告、その疑いや風評を打ち消そうとした。
その解剖結果では、風評に言う、静坐が原因での胃下垂とか痔疾など疾患ではなく、その死因はまったくの流行性脳炎であったと明言している。
橋本五作の葬儀は9月4日福岡市薬院庄浄土宗安養院で執り行われている。橋本の帰国および死去により、旅順工科大学での静坐会はなくなったが、大連の常安寺での静坐会はしばらく続いた模様である。
2017年3月9日 記 2020年5月28日改稿 2023年9月27日改稿