ブログ・エッセイ


『江戸の蔵書家たち』、吉川弘文館から復刊、「読みなおす日本史」

年が明けた。この年末年始は、仙台の息子も帰ってこないし、近くに住む娘一家も富山に行ったから、静かなお正月を迎えられた。
11月末には『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』も武久出版に出稿て、組み見本も見せてもらって版面も決定したから、あとはゲラが上がれば、今年の初めはこの校正をのんびりやればよいかなと思っていたら、思いがけず仕事が入ってきて、いささかタイトな年末年始となってしまった。でもまあ、老齢の身には適度の負荷(ストレス)も必要かと思って、何とかやっていこうと心を決めている。
そのうちのひとつは、もう二十年ほど前に講談社の叢書メチエで出した『江戸の蔵書家たち』を吉川弘文館から復刊するというはなしだった。「読みなおす日本史」というシリーズだそうだ。講談社のメチエは、二刷までいって9000部ほど出ているし古書市場にもよく出回っている本だから、復刊の意味があるのかと思い、いろいろ考え、また近しい友人にも相談してみて、結局、復刊してもらうことにした。この復刊に際して30枚ほどの補論がいるというので、江戸期大阪の文運を継承した草創期大阪図書館のことを書くことにし、12月にはいってからようやく版元に送った。そして年末に、その補論と復刊の本文のゲラがあがってきて、この正月は、その校正にかかった。
そんなことから、『江戸の蔵書家たち』の本文を、字句の修正かたがた、ざっと読み直してみた。書いた当時は40代後半の歳だった。読んでみて、あの頃はあれこれと考えていたんだなと、我がことながら改めて感慨にふけってしまった。わたしは、国文学や歴史学など、特段専門の教育を受けたわけでもないし、学統を引いているわけでもなく、それゆえ気軽にというか自由にというか、無防備にというか無手勝流というか、それでもって攻め入っている感があり、確かにいささか無謀にもみえる。
そんなことからか、出版当時には、あれこれと各方面から言われた。思うに、国文学など専門知識も研究の蓄積もない図書館員の分際で、江戸期の蔵書家や書誌のことなどを書いている、と専門の学者からそんな気分も持たれたのだろう。たとえば、刊行間もないころだが、わたしは大阪府立中之島図書館の大阪資料課長をしていたのだが、とある日、とある関西の大学教員から電話があり、中之島図書館の見学の申し出を受けた。段取りを決めて、先方の教員が、念のためにお名前をというので名乗ると、「ああ、あの“めいちょ”の誉れ高い…」と言われたことがあった。その口調からわたしは、国文の専門の研究者からはそのように思われているのだなと思い到ったことだった。
わたしにしてみれば、図書館の歴史が、自明の理のように明治維新から始まるといったいわば近代主義の考えに違和感を持ち、図書館のしごとや書誌、「調べの手だて」などは、すでに江戸時代に胚胎しているものだった、ということを表明したいと考えて、この本を書いた。そして書物の分類や解題、集成や索引といった「調べの手だて」なるものは、個人や機関の蔵書の集積から生れ出てきたもので、その基層に江戸時代の蔵書家たちがいたのだと、いわば図書館の論として書いたつもりだった。そうした考えは今でも堅持している。この復刊のために書いた補論でも、20年ほど前に書いたこの『江戸の蔵書家たち』と同じような「口調」になった箇所もあって、自分でも驚いた。よく言えば持論を堅持しているということだし、言い換えれば成長がないということにもなろうか。
わたしの関心はその後、満洲など外地の図書館や図書館員のことにシフトさせていったが、江戸期蔵書家の営為は、満洲などの図書館でよく継承されて活動が行われたという印象だ。明治維新を超えて、日本近代の流れの中でも、いくつかの江戸時代の営為は継承されたと思うが、満洲などいおいてはいっそうそのような活動が展開されたようにみえる。ただそれでも、江戸時代の営為のエッセンスのいくつかは、近代の歴史のなかで埋め込まれたろう。そしてついでに言えば、戦後の図書館の民主化の波の中でも、戦前期に外地の図書館や内地の図書館でなされてきた営為のいくつかは、他の負の要因とともに埋め込まれたようにも思う。戦前期外地で活動してきた図書館員たちが、戦後になり、日本に戻ってきて、思ったほどのおおきな役割を演じることがなかったようにみえるのも、ひとつはそうしたこともあったろう。
こんな言い方をすると、何か戦前期外地の図書館員たちの活動を「正当化」しようとしているように聞こえるかもしれないが、決してそういうことではない。もうすこし図書館の営為、活動の細部を丹念に見ていった方がいいのではないか、とそう思っているのである。今年はこんなことをもう少し深く考えてみたいと思っている。
2017年1月8日記