ブログ・エッセイ


『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』の刊行、武久出版、出版事情、NACSISの所蔵状況

しばらくブログのアップができなかった。自分の仕事の進捗状況に大きく左右されることから、余裕がないときには間が開いてしまう。これはブログ主としてはあまりよろしくない傾向ではある。
11月に上京して、拙著『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』の刊行について、高田馬場にある武久出版と詳細を詰めてきた。この時期にちょうど、『人名辞書』の「人名索引」と「事項索引」の作成に励んでいて、あまり余裕がなかった。さらにその後、武久のご担当から版組の見本が送られてきて、あれこれと検討していて、なにか追い立てられる気分だった。
本の版面、つまり辞書本文の活字のポイントと行間のことなのだが、これは重要な問題だ。版面での読みやすさ、バランスのよさ、さらに、ページ数がどれぐらいになるか、ということに関わってくる。それは印刷経費に直接かかわってくるから大きな問題である。これらを考えあわせて、あれやこれやと検討していた。編輯のご担当がたいへん親切で、また適切な助言もしてくれて助かった。
送ってもらった組見本は、8ポ、7,5ポ、7ポのものと、そのそれぞれ異なる行間の見本だ。当初は、お手本にと考えていた、とある人名辞典が7ポだったことから、7ポでいこうかと目論んでいたのだが、実際にこうして見本を見せてもらうと、どうしても7ポより8ポの方が読みやすく感じられ、また目にも優しい。読者にとってもそうなのだが、年末年始と、自分に課せられる校正作業のことを考えあわせてみると、これは自分のためでもあると思い、奮発して8ポでお願いした。4月刊行予定だ。
著者は岡村、編輯刊行はおおすみ書屋といれてもらい、版元は武久出版だ。武久はどの取次店にも扱いがあるので、版面を読みやすくして図書館などでも買ってもらわねばならない。初刷が全部捌けてもまだまだ赤字だ。今回は、自費の制作だが取次ルートに乗る版元からの出版ということで、自身の出版形態としては初めてのケースだ。
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これまでわたしは、科学研究費助成金による成果出版物や、大学で刊行するブックレットなどを別にすると、数冊の本を刊行することができている。そしてそのそれぞれは、異なる出版社で、刊行形態もさまざまなものだった。こうした異なる版元、異なる刊行形態というのも、もちろんそのように強いられた場合もあるのだが、出版および出版流通への興味関心から、版元は自分で選んでお願いしたケースもある。
このように、出版社および出版流通の形態が異なる出版については、大学での「現代出版文化論」や「図書館情報資源概論」などの授業でも、事例としてとりあげたりしてきた。自分の著作だから出版の実情を遠慮なくさらけ出せるし、正直なところが語れる。出版にあたって、「著者何部持ち」なんてことは、普通研究者は言わないし、言いたがらない。多くの研究者はそんな経験をもっているわけなのに、そんなことはおくびにもださない。
このような出版物の実状を学生諸君に正直に話すこと、学生諸君も結構喜んでくれる。それに受講生のうち幾人かはかならず、出版や本、古本屋に関心を持っていて、本や巡り・古本屋巡りをしている学生もいるから、おもしろがってもくれる。
もうひとつ、こうして自分で、異なる出版社や、さまざまな刊行形態で出版すると、例えばNACSISのような、大学など研究機関での所蔵状態や、「国立国会図書館サーチ」の府県立図書館での所蔵状況も、大いに気になってくる。
司書課程の授業などで、こうした自著刊行の「悲喜こもごも」を話すときに、あわせて、NACSISの所蔵事情なども示して講義をする。流通に乗るものは、もちろん、本の種類や内容によるわけだが、また出版社によっても大きく左右される。図書館で購入してくれた本の場合は目録を作るから、その所蔵状況は、NACSISや「国立国会図書館サーチ」で知ることができる。
さらには、自費の刊行で取次経由ではない場合、とりわけ科研の成果刊行物などは、ほとんど売れるということはないから、図書館での所蔵は、主としてわたしの寄贈によっている。つまり大学図書館や公共図書館での所蔵は、著者であるわたしの寄贈の意志の有無によって左右されるということになる。
受講生諸君には、だから図書館で多様な資料を収集しようと思ったら、新聞記事や学会誌などの出版情報をチェックすることが大事なんだよ、と型通りに語るのだが、著者としてのわたしとしては、自分の意志でNACSISや国会図書館の所蔵状況が変わってくる、ということにもなるから、ささやかなことなのだが、自分の意志が反映されて、ちょっと厳粛な気分になる。
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ここで、現時点での自分の著作の版元と刊行事情、それにNACSISの所蔵状況(本日現在)を古いものから順に示してみる。科研の成果物および大学で刊行したものは省略した。
1 『表現としての図書館』青弓社 1986.2 所蔵館110館
処女出版。300部の著者持ちが条件。数年後に版元在庫分が著者の了解もなく再販をはずされ自由価格。
2 『遺された蔵書 満鉄図書館・海外日本図書館の歴史』阿吽社 1994.12 所蔵館173館
著者持ち分なし、印税もなし。これはある研究会で一緒になった友人が紹介してくれて刊行なった。
3 『江戸の蔵書家たち』講談社 1996.3(講談社選書メチエ71) 所蔵館177館
印税がはいった。2刷まで。これも研究会で一緒した友人が講談社に紹介してくれたのだと思う。
4 『「満洲国」資料集積機関概観』不二出版 2004.6 所蔵館115館
著者持ち分なし、印税なし。不二出版の社長はわたしが府立図書館で集書係にいたとき復刻版をよく売り込みに来ていたひとで、ここに出版をお願いした。
5 『日満文化協会の歴史-草創期を中心に』私家版 2006.10 所蔵館50館
自費出版。索引を別刷りして経費約100万円。一部は金沢文圃閣が「日本の古本屋」で販売してくれた。
6 『満洲出版史』吉川弘文館 2012.12 所蔵館147館
科研の出版助成でおとされた。類書があるとの理由だったが満洲の出版史など類書はない。大学から50万円の助成、そして著者持ち分約50万円で刊行。
7 『京大東洋学者 小島祐馬の生涯』臨川書店 2014.11(臨川選書29) 所蔵 館53館
編集者に知り合いがいてもちこんだ。著者持ち分なし、印税もなし。
8 『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』武久出版 2017年4月刊行予定
出版経費は著者持ち、編輯制作はおおすみ書屋。自分で編集して取次扱いのある版元で出版したかった。

これまでの出版のなかで、わたしが印税をもらって、ちょっとだけ学生に自慢したのは、講談社メチエの『江戸の蔵書家たち』だった。そしてもっとも悲しいケースは、処女出版の『表現としての図書館』。持ち分300部を抱え、それを捌くのに一苦労、さらにのちに再販を外されて自由価格で販売されたことにより、本の天(上の小口)に小さく「B」と押された本が流通した。
こうしたわたしの著作はもちろん古書でも流通していて、その値付けはさまざまだ。わたしとしては、「本の持つ価値のひとつは古書価格だ」との強い考えがあり、いつも気になっている。切ないことだが「日本の古本屋」のサイトで自分の本がいくらで売られているかを時おりチェックしている。
さらにまた、古本屋の店頭で自著がひどく安い値段で並んで売られていたりすると、本に対して、すまない、まことに申し訳ない、という気持ちが強く働いて、ついつい買ってしまったりする。あまつさえ、その本が再販外れの『表現としての図書館』だったりすると、ますますその気持ちが強くなり、その場で腰を屈してしまうほどだ。再販はずれであっても、地に○Bの押印ではなく、せめて○Aなら、と馬鹿なことを考えながら、買うのだ。古本屋の主人に、これはわたしの本なんですよ、なんてことはけっして言わないのはもちろんである。
このように、これまでいろんな出版社から、いろんな形で刊行してきた。次の『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』は経費こそ自費によるものだが、出版流通については取次ルートだ。そして定価も発行部数も自分で決められる。刊行成ったら、がんばって図書館などへも売り込まねばならない。
2016年12月13日記

atudou