ブログ・エッセイ


研修会同窓会、氷見の魚、立山博物館、石仏群、布橋灌頂会

10月22日23日と富山に出かけた。『戦前期外地活動図書館職員人名辞典』の出稿の予定もあり、お出掛けばかりしているわけにもいかないのだが、富山ということもあって、出かけた。30年ほど前、図書館員時代に参加した三週間にわたっての社会教育研修会の、いわば同窓会だった。

この会は毎年行なわれていて、どこかの温泉に泊まってあれこれとりとめのない話をする。もうあれから30年以上も経っていることから定年組が大半、話題も、図書館のことからだんだんと健康法や病気のことなどに話題が移ってきた。それでもそれぞれの近況を聞き、またのお楽しみや趣味のことなど楽しく語らって、楽しい会だ。今回は氷見の民宿に泊まった。

富山は魚がおいしいし他の食べ物も概してうまいから楽しみにしていた。期待にたがわず、魚中心の夕食はまことに美味であった。だが、歳を重ねて、こうした旅館のお料理はいささか量も多く重たいな、との感が強くなった。

二日目は一行と分かれて立山博物館に出かけた。芦峅寺・岩峅寺や立山開山伝説などのことは以前に調べたことがあって、知識も少しだがあったことから、博物館の展示を丹念にみて、周辺の雄山神社や布橋、閻魔堂などを歩いた。なかなか意義深かった。

閻魔堂から布橋に続く道には石仏がたくさんにあって、よい雰囲気だ。だが明治維新期の神仏分離令にともなう廃仏毀釈により、修験道の立山権現は仇のようにされて破壊され、岩峅・芦峅の両寺は廃寺となったことから、これらの石仏も多くは各所から救出されて集められたものであるだろう。それにしても、明治維新期の神仏分離令にともなう廃仏毀釈というのは、各地の文化財に対して大きな打撃を与えている。

中央アジアの仏教史蹟が信仰上の理由から爆破されたり、中国などでも政治的な運動の余波で多くの文化財が破壊されたが、日本でも維新期、仏教史蹟や文物・書物がひどく破壊され破却されたという歴史的事実は、もう少し思い起こされてよいと思うし調査がなされてもいいのではないかと思う。近代化の裏面、側面にこうした理不尽な運動があったのだということを、この布橋への道筋に祀られた石仏を見ながら考えた。

ここの布橋で行われる灌頂会は、女人禁制で立山登山が許されなかった女性のために、此岸と彼岸の境であるこの布橋を渡ることで男性の立山登山と同じように極楽往生がかなうという儀式だ。この儀式はサントリー地域文化賞を受賞したのだという。立山と立山権現立山信仰を背景に持ったこの儀式は厳かで心を動かすものが確かにある。

昨年のいつ頃だったか、JRの駅に、この布橋灌頂会参加も含めたツアーのチラシが置いてあるのをみたときには、なかなか複雑な気分になった。何がよい、何が悪いということではないのだが、たくましい商魂だなと思っていささか鼻白んだ覚えがある。

(2016年10月26日記)