ブログ・エッセイ
北方圏学会の役員たち 7 天澤不二郎
天澤不二郎
天澤不二郎は明治40年の生まれ。昭和5(1930)年東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。中外商業新報社を経て昭和8年に中央大学講師。社会政策・経済政策・植民政策の研究家。
康徳6(昭和14、1939)年建国大学助教授、6月16日付では建国大学研究院企画室に勤務し、学内の研究においては国民構成研究班に所属しまた興亜建設勤労奉仕隊事業研究班の班長、ほかに経済原理研究班にも属した。
康徳7(昭和15、1940)年5月の研究班構成では経済研究部満洲経済実態班・経済組織及制度班・計画経済班そして開拓班では班長を務めた。8月20日(資料)編輯員に任命。後期1学年では「開拓論」を担当している。9月5日北支・蒙疆地区の労働力調査のため天津・北京・張家口・淪県・青島に出張。10月20日建国大学研究院経済研究部幹事。12月2日の定例集会では「開拓地所有権問題」を報告している。
康徳8(昭和16、1941)年1月8日から二週間にわたって東辺道・北朝鮮の開拓実地民調査のため出張。4月1日付の康徳8年度研究院所属は第3部経済研究部の(一)経済原理研究班・満洲経済実態及経済史研究班の経済実態分班、(四)開拓及農業研究班(班長)、(五)綜合研究部国民生活実態研究班に所属。4月28日第一回開拓研究班の打ち合わせ会で天澤は「満洲開拓青年義勇隊制度の成立、発展の概観」について研究することとなった。5月7日から5月30日まで国民経済計画班の資料を収集するため大阪・東京・北九州方面に出張。9月25日企画委員。 建國大學研究院から『滿洲開拓の發展に關する覺書』を刊行。
康徳9(昭和17、1942)年度後期第一学年一学期経済科目の「生産論Ⅰ」を担当。2月28日『満洲建国十年史』編纂の担当者も天澤は 執筆委員として経済篇「開拓」を担当。昭和17年4月に創設された大日本拓殖学会では理事となっている(「會員名簿」、論文は「戰時下の開拓政策―第二期滿洲開拓計畫への現時的反省」『大日本拓植学会年報 第1輯』大東亜政策の諸問題 日本評論社 1943年)。
康徳10(昭和18、1943)年1月4日、満洲百科事典編纂会常任委員、6月16日日満農政研究会第5回総会に専門委員として出席、会議終了後内地農村視察のため7月10日まで東京・札幌・長野・山形に出張。12月1日から南満地方の鉱山工場における戦時管理状況の調査のため4日まで錦西・揚家杖子・本渓湖・田師付・大連に出張した。
康徳11(昭和19、1944)年2月29日には満洲国政府の委託により満洲調査機関連合会の武部会長経由で調査委嘱費1万5千円が交付され、調査研究が委嘱されている。天澤はこのなかの「炭礦労務管理」を担当した。4月には『開拓政策の展開 満洲開拓の過去と現在』( 河出書房)を刊行した。5月20日付にて教授に昇格。6月26日から7月8日まで東満地区の炭礦労務情況の調査のため出張している。
康徳12(昭和20、1945)年1月に刊行の『北方圏』の北方圏学会では世話役に就いた。第2号に「民族と勤労の問題」を寄稿している。
戦後は昭和24年6月電気通信大学講師、昭和26年2月教授(湯治万蔵編『建国大学年表』 建国大学同窓会建大史編纂委員会、1981年)、『開拓政策の展開』、『現代日本産業発達史発達史 第22 (陸運・通信)』1965年 現代日本産業発達史研究会、奥付)。 2025年9月9日 記
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