ブログ・エッセイ
『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち 51
『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち 51 櫻田史郎
櫻田史郎は『月刊満洲』康徳12(1945)年5月号に「浪曲台本 必殺の血文字」を書いている。櫻田史郎は号であり本名は吉田健次郎である。
国会図書館の目録によりこの吉田健次郎で検索してみると、「学徒空の進軍」の作詞者として出る(録音資料、ビクター 昭和18年12月)。この作詞「学徒空の進軍」は長田暁二編『日本軍歌全集』(音楽之友社1976年にも所収されている)。櫻田史郞名としては「盤山紀行」『開拓 東亞一般誌』7(1) 昭和18年1月 満洲移住協会、「靑年義勇隊のうたから」『新天地』 23(5) 昭和18年5月 、「義勇隊めぐり」を、 昭和18年2月号、9月号、11月号などに書いている。
また国会図書館の目録に、岩手県立図書館所蔵資料『新渡戸稲造 新渡戸稲造先生没後50周年記念誌』に櫻田史郎の名前があったことから、この資料の内容について該館に照会をしてみたところ、これは櫻田の作詞した「新渡戸稲造先生を讃える歌」であることがわかった。さらに県立図書館のレファレンスのご担当から、櫻田史郎(吉田健次郎)の履歴や論述、校歌の作詞をお教えいただいたので以下、この岩手県立図書館のご教示によりそれらを書き出してみる。
**
吉田健次郎(号櫻田史郎)は盛岡市出身の作詞家・脚本家・映画演劇評論家である。大正4年3月の生まれ。昭和9年盛岡市杜陵小学校に勤務。昭和15年に渡満し、満洲開拓青年義勇隊訓練本部の編集事務に就いた。昭和18年に満洲国立新京法政大学法学部を卒業している。先の櫻田史郞名の論述はこの満洲開拓青年義勇隊訓練本部に勤務していた時のものである。昭和16(1941)年刊行の『土のうた』(満洲開拓青年義勇隊訓練本部編 大陸建設社)の「あとがき」は櫻田史郎の名前で書かれる。この『土のうた』は、満洲開拓青年義勇隊隊員が書いた詩や短歌・俳句を収めたもので、訓練本部に勤務していた櫻田の編輯であった。
昭和21年に引き揚げ、昭和22年岩手県映画教育協会、昭和28年岩手放送の編集課長、ついで事業部長・東京支社長・編成局長・報道制作局長を歴任。昭和45年にIBC開発センター常務、専務取締役を務め、昭和51年停年退職。彩苑代表取締役に就任する(『岩手人名大鑑 1976』岩手日報社 1976年)。1990(平成2)年9月12日東京都世田谷区の病院で死去、75歳。この時の住居は東京都狛江市駒井町である。葬儀は狛江市東和泉の玉泉寺(『岩手日報電子縮刷版』(電子資料、1990(平成2)年9月14日朝刊)。
**
〈櫻田の作詞した校歌〉
中学校…盛岡市仙北中学校・盛岡市川目中学校・矢巾町徳田中学校・矢巾町矢巾中学校・一関市桜町中学校・山形村日野沢中学校
小学校…盛岡市山岸小学校・盛岡市北厨川小学校・玉山村巻堀小学校・金ヶ崎町金ヶ崎小学校・金ヶ崎町永沢小学校・陸前高田市小友小学校・軽米町観音林小学校・軽米町山内小学校(『岩手の小学校校歌集 「いわて教育の日」制定記念』〔岩手県小学校長会編〕〔佐々木 正太郎∥監修〕岩手県小学校長会 2005年、『岩手思い出の小・中学校校歌集 「いわて教育の日」制定記念』岩手県小学校長会 2006年、『岩手県国公立中学校校歌集 〔岩手県中学校長会∥編〕 岩手県中学校長会 1998年』、『岩手の校歌ものがたり』佐々木 正太郎∥著 ツーワンライフ 2000年、『岩手思い出の小・中学校校歌集 「いわて教育の日」制定記念』岩手県小学校長会 2006年、『岩手の校歌ものがたり』佐々木 正太郎∥著 ツーワンライフ 2000年)。
〈ほかの櫻田の作詞〉
・「菊忠印刷の歌」「菊忠音頭」(『印刷と共に五十年 菊忠印刷所創業五十周年記念誌』菊忠印刷所編 菊忠印刷所創業五十周年記念誌編集室 1969年、『人間と印刷の心に残る回顧抄録 印刷と共に九十年』 菊池 忠七 2009年)。
・「こまどり号の歌」(『岩手県立図書館のあゆみ 新館落成記念誌』岩手県立図書館 1969年
・「新渡戸稲造先生を讃える歌」(『新渡戸稲造 新渡戸稲造先生没後50周年記念誌』新渡戸稲造先生没後五十周年記念事業委員会 1983年)。
**
〈櫻田史郎名での雑誌への寄稿〉
・「釜石線の釣り場を探る」『東北文庫 第46号』昭和25年)9・10月合併号 新岩手社
・「釣り日記から」(『東北文庫 第52号』昭和26年7月号 新岩手社
・「住 マンション住い」(『街もりおか 通巻78号』杜の都社 1974年6月
・「二人の民選初代議長―岩手県議会百年に寄せて―」『街もりおか 通巻131杜の都社 1978年11月
〈吉田健次郎名での雑誌などへの寄稿〉
・「座談会 高校新卒生の座談会 実社会に巣立つ」『街もりおか 第3号』杜の都社 1968年3月
・「座談会 ジャーナリスト盛岡を語る」『街もりおか 第6号』杜の都社 1968年6月
・「座談会 ともしび・美女・歯刷子」『街もりおか 通巻 20号』杜の都社 1969年8月
・「座談会 他郷から嫁いできてみれば」『街もりおか 通巻21号』杜の都社 1969年9月
・「座談会 「京風」を盛岡に探れば」『街もりおか 通巻36号』杜の都社 1970年12月
・「異郷にある故郷 山形県加茂港 原敬句碑」『街もりおか 通巻49号』杜の都社 1972年1月
・「同人同行記」『街もりおか 通巻54号』杜の都社 1972年6月
・「趣味 雁風呂」『街もりおか 通巻63号』杜の都社 1973年3月
・「秋想」『街もりおか 通巻105号』杜の都社 1976年9月、ギャラリー彩苑主とある
〈櫻田史郎名での『岩手日報』への寄稿・記事〉
・「“青春色どる雲晴れに”両氏学生スキー大会賛歌贈る」昭和26年12月19日朝刊
・「雨中六種目に熱戦 中学体育の祭典開く」昭和29年9月19日夕刊、中学生総合体育大会の「岩手県中学校体育の歌」の発表会。桜田史郎作詞。
・「みちのく夜話二百回を語る」昭和32年11月20日夕刊
・「八沢中に新校歌」昭和35年2月27日朝刊
・「委員長に吉田氏 岩手国体の記録写真委」昭和43年10月26日朝刊、岩手国体記録写真委員会委員長就任の記事
・「小野寺さん(盛岡の主婦)が入選 岩手国体音頭の歌詞決まる」昭和43年11月30日朝刊、歌詞の補作。
・「岩手のスポーツ人76」昭和44年3月19日朝刊、櫻田史郎作詞の「白銀のはやぶさ」に言及。
・「故武田氏をしのぶ 盛岡で追悼演奏会」昭和46年5月9日朝刊、「故武田忠一郎先生をしのぶ」と題する桜田史郎氏(詩人)の作った詩が朗読された。
・「わたくしたちの学校生活 盛岡市立北厨川小学校」昭和51年4月27日朝刊、北厨川小学校校歌の作詞。
・「岩手スキー物語11」昭和63年2月3日朝刊、県スキー連盟藤沢良一選手の活躍を祈念し櫻田史郎が作詞した激励歌「白銀のはやぶさ」の記事、
・「懐かしの校歌(77)」平成19年10月21日朝刊、金ヶ崎町永沢小学校校歌の作詞者桜田史郎。
・「懐かしの校歌(94)」平成20年2月17日朝刊、矢巾町徳田中学校校歌の作詞者。
「懐かしの校歌(96)」平成20年3月2日朝刊、盛岡市川目中学校校歌の作詞者
・「はばたけみらいへ おめでとう50周年矢巾市立矢巾中学校」平成20年9月1日別刷、作詞者櫻田史郎の名前
・「はばたけみらいへ おめでとう60周年 盛岡市立北厨川小学校」平成20年10月1日別刷、校歌歌詞者として櫻田史郎。
・「がんばれ子どもたち!盛岡市立北厨川小学校」北厨川小学校校歌 平成30年3月2日別刷、作詞者として櫻田史郎の名前
〈吉田健次郎の名義で〉
・「NHK/IBCここに自主製作のねらい」昭和41年7月3日朝刊、岩手放送編成局吉田健次郎。
・「NHK/IBCことしの番組づくり」昭和43年1月5日夕刊、岩手放送編成局長吉田健次郎。
・「歌謡曲の酒」昭和43年4月1日朝刊、岩手放送編成局長吉田健次郎
・「血漿」(「学生と女子職員が毎日真夜中まで稽古して上演した」とあり、脚本は櫻田のものと思われる(大矢富二郎『農芸化学科の歩み 盛岡高等農林学校・農専・農学部』大矢
富二郎先生退官記念事業会 1979年)
・「みちのく夜話」(太田俊穂原作 加藤英夫演出 脚本荒木田家寿・細越広人・櫻田史郎)。IBCの放送劇として長期にわたり放送された(『岩手百科事典』(新版) 岩手放送岩手百科事典発行本部編 岩手放送 1988年)
・「しろうと劇団」。テアトルDF劇団(IBC)は昭和32年10月、連続放送劇みちのく夜話200回記念として太田俊穂作 桜田史郎脚色の『萬延元年』を上演した(『岩手年鑑 昭和34年版』岩手日報社 1958年)
**
以上は岩手県立図書館が調査されたものである。そしてこの調査で参照された資料は以下のとおりであった。これも岩手県立図書館のご努力によるものである。今後の櫻田史郎研究に資すると思うので、あわせて掲出させていただいた。
【調査済資料】
・『岩手人名大鑑』岩手日報社 1965.7(p.514「吉田健次郎」項目あり)
・『岩手人名大鑑1986』 岩手日報社 1986
・『岩手人名大鑑 1996』 岩手日報社 1996.7
・『岩手年鑑 昭和23年版』岩手日報社 1947(「県下文化人名録」p.149 [桜田史郎 盛岡市西下臺九九(作家))
・『岩手年鑑』昭和50~59年版
・『「新岩手人」総目次 創刊号~158号(昭和6年7月~昭和20年1月)』鈴木裕美子 1997.8
・『「東北文庫」総目次 創刊号~第79号(昭和21年1月~昭和31年8月)』〔
鈴木裕美子〕 2001.3
・『記念碑散歩』谷口 吉郎編 文芸春秋 1979.11 (p.252「新渡戸先生をたたえる歌」の作詞者として「桜田史郎氏(作家)」と名前あり)
・『訪碑紀行 1』中西 慶爾∥著 木耳社 1983.1 (p.112~116「新渡戸稲造賛歌」の作詞者として「桜田史郎氏(作家)」と名前あり
・『市政奉仕七十年 田辺定義先生の語る』田辺定義∥[述] 田辺さん卒寿記念刊行会1978(p232「新渡戸先生をたたえる歌」の作詞者として「桜田史郎氏(作家)」と名前あり)
・『みちのく夜話 随想』古川 安忠∥著 古川安俊 1966.1
・『天晴れ!盛岡文士劇 役者になった作家たち』道又力編 浅田次郎[ほか著] 荒蝦夷(仙台) 2011.11
・『開拓青年』満州開拓青年義勇隊訓練本部
・『饒河少年隊 大和村北進寮の記録 満蒙開拓青少年義勇軍の濫觴』石森 克己∥著 瑞門会 1982
・『満蒙開拓青少年義勇軍』上笙一郎著 中央公論社 1979
・『写真集 北上』和賀拓友会編 北上・和賀拓友会 1989.8
・『岩泉町立小・中学校校歌集』岩泉町立図書館 1991.12
・『渋民小学校校歌考校名標てんまつの記』村松 徹著〔渋民小学校〕1988.3序
・『大迫のうた』大迫町婦人団体連絡協議会∥編 大迫町婦人団体連絡協議会
1985.3
・『いわいの里を歌い継ぐ命と心の小・中・高学園歌 校歌私考』(増補復刻)尾形 誠一∥編著 桐々舎 2011.1
・『九戸の校歌集 九戸地区会発足10周年記念』日本教育会岩手県支部九戸
地区会 1999.7(p.77日野沢中学校校歌)
・『ああ青春 胆江地区中学校高等学校校歌・応援歌集』胆沢町役場秘書広報
課 1985.2
2025年2月4日 記