ブログ・エッセイ
家庭菜園、畑、大根葉虫、白菜、全滅、NHK聞き逃し配信、スマホ、ブウートゥースのスピーカー、ジャズ、スタン・ゲッツ、ジャズ喫茶、「ファンキー」、アート・ブレイキー、「アフリカンビート」、チャールス・ミンガス、エリック・ドルフィー、オーネット・コールマン、時代遅れの男、「気まずいわ」
我が家庭菜園、大根葉虫に襲われた白菜をなんとか救済しようと、割りばし虫取り作戦および液肥攻勢という戦略を立てたものの効を奏さず、あえなく全滅と相成った。少し前までは芯の青い部分が残っていたから、なんとか持ちこたえてくれないかと希望を持ったが芯まで食われて完敗。巻かなくてもいいからせめて花が咲くところまで行ってくれないかな、と後退戦に転じたものの、どうも見込みはなさそうだ。白菜の花は「菜花」としては一級品だとおもっていっるし、花芽が大きくてけっこうおいしい。
家庭菜園の畑でわたしは、NHKラジオの聞き逃し配信を、ブルートゥースのスピーカーで聴いて楽しんでいる。クラシックは「古楽の楽しみ」、ジャズは大友良英解説の「ジャズトゥナイト」がお気に入りだ。ジャズは大友の演奏者ならでこその解説と、そして特集の選曲も大変によい。大友は決して若くはないジャズミュージシャンで、その選曲も、ビーバップ時代のジャズもよく取り上げてくれるから、わたしなどのような高齢者ジャズファンにはおなじみのジャズプレイヤーが登場してうれしい。この前はテナーサックスのスタン・ゲッツの特集だった。スタン・ゲッツについては、レコードを1,2枚持っているぐらいで、あまり一所懸命聴いたことがない。
この放送の中で大友が、村上春樹が訳したスタン・ゲッツの伝記(ドナルド・L・マギン『スタン・ゲッツ :音楽を生きる』新潮社 2019年)を紹介していた。読んでなかったのでさっそく図書館で借りて少し読んでみた。大友が放送で、後半生はつらいことが多くて読むのもつらい、前半だけでも、というようなことを言っていたことから前半の150ページあたりまで読んでみた。というより実は、この辺りまで読んだところで図書館への返却期限が来てしまったというのが正直なところだった。
ところでこの本の「訳者あとがき」で村上は次のように書いている。「一人のジャズ・ファンとして、「僕はスタン・ゲッツがいちばん好きだ」とは手放しでは広言しにくいところがあった」と。そしてさらに「ジョン・コルトレーンの「至上の愛」とか、オーネット・コールマンの「フリー・ジャズ」とか、エリック・ドルフィーとかセシル・テーラーとか、そういうハードで革命的な音楽を、当時の青年たちの多くは真剣な面持ちで、いわば哲学として聴き込んでいた」ことから、本格派ジャズ喫茶では、スタン・ゲッツは「やわだと見なされ、比較的軽く扱われていた」と続けている。当時というのは1960年代のことだ。村上はわたしより1,2歳年下のはずだから、1960年代の日本のジャズシーンに関していえば、まず同時代であると言ってよい。つまり村上も「当時の青年たち」の一人であったわけだ。
このあと村上は、自身とスタン・ゲッツのジャズとの出会いおよびその後のエピソードを語ってくれていて興味深いのだが、ここでわたしが書こうと思ったのは、そういえばわたしも、スタン・ゲッツは「やわ」と思っていたのかもしれないな、ということだった。
以前に少し書いたが、わたしのジャズとの出会いは、大阪梅田コマ劇場裏のジャズ喫茶「ファンキー」でアート・ブレイキーの「アフリカンビート」を聴いたことだった。アート・ブレイキーは、村上の挙げた「革命的な音楽」には数えられてはいないが、ともあれわたしはここをスタート地点として、以降はおおむね、チャールス・ミンガスとエリック・ドルフィーの二本立てでジャズを聴いてきた。
当時のジャズ喫茶、そこでは話はできないし、ジャズ喫茶にはだいたいひとりで行くものだった。つまり「ジャズを聴きに行く」というわけだから、確かに「真剣な面持ちで、いわば哲学として聴き込んでいた」ということでもあったのだろう。
わたしは、下宿から近かった北白川のジャズ喫茶「メルヘン」に通ったが、ここでは、漫画を読んだり『スイング・ジャーナル』の写真や記事を読んだりして過ごした。そして、時には目をつぶって「真剣な面持ちで」、「いわば哲学として」ジャズを聴いたりもしていたと思う。
当時はそんな時代だったし、55年ほど前のこうした自分自身のことを今思い起こしても、なんら照れくさくもないし恥ずかしいこともない。村上がそうであると言うわけではないが、斜に構えた姿勢からそれを揶揄されたところで、なんら恥じることも動じることもない。
そして、そんな時代からは大きく変転した。今は「ジャズが好き」と言う人たちは多いし、買い物で店に入っても、飲食店でお酒を飲んだりしても、そこには「ジャズ」がバックグラウンドで鳴っている。ただそれは、わたしたちがジャズ喫茶で聞いたような「モダンジャズ」というようなものではなくなった。
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これも以前に書いたことだが、図書館に勤務していた時代、たしか谷町9丁目の地下にあったジャズ喫茶、谷町6丁目だったかもしれないが、ここでジャズを聴こうと店に入った。客がいないようだったので、アルバイトの若い女性に、「オーネット・コールマン」の、「ジャズ来るべきもの」だったか、ちがうアルバムだったか、ともかくオーネット・コールマンをかけてくれとリクエストした。そしてそれを機嫌よく聴いていたところに、店主が戻ってきた。そして彼女に対して、「なんでこんなレコードをかけているんだ」ときつく言い放ったのである。彼女は、「こちらのお客さんのリクエストです」と答えたのだが、そのときの店主の顔を今でもよく覚えている。ばつの悪そうな顔をしたのだが、それと同時に、今はこんな曲を聴く時代ではないとばかりに傲慢な、そして賢しらなしたり顔をその裏でのぞかせていた。
そこでようやくわたしは気が付いたのである。時代が変わってしまった、わたしは時代遅れの男になってしまったのだと。70年代初頭になり、重苦しい「革命的な」ジャズの時代はとうに終わってしまい、いわば、すがすがしい空気のもとでジャズを聴く、そんな時代に変ってしまったのであった。
谷町のジャズ喫茶でのこの店主の不愉快な一言を耳にして、この時代遅れの男、つまりわたしのことだが、リクエストをした手前、律儀にも最後までレコードを聴いたあと、憤然と席を立って店を後にしたのであった。
いま畑でのブルートィウースからは、「今月のみんなの歌」の「きーま、きま、きま、気まずいわ」が鳴っているところだ。 2024年11月4日 記
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