ブログ・エッセイ
ないないないない、探しものの人生、人生は探しもの
ないないないない、先ほどまで畑で使っていた小さなスコップがない。どこで使ったか思い出してみよう。茄子の根元を掘り起こして鶏糞を入れた、きゅうりのまわりの雑草をかき取った、そのあと人参の収穫に土が堅かったので周りにスコップを入れた。そうかこれが最終の小型スコップの使用だ。ならばと、人参のところに行ってみる。
ないないない、やっぱりない。じゃあどこだろう。その後にも使ったのかもしれないが思い出せない。もしかして、土の中に埋め込んでしまったかな。通常だったら4,5日もすれば、なんだこんなところにあるではないか、と見つかるはずなのに、出てこない。
ないないないない、今度は収穫用の黄色いはさみがない。茄子を収穫して、そのとき根元から出てくる余計な芽を摘み取ったな、そのときにちょっと置いたかな。ネギの収穫に使ってちょっと置いたのかな。でもこれも4,5日たっても見つからない。
歳をとってくると、毎日が探しものだ。まさに「探しものの人生だ」。若いころは、「人生は探しもの」とかであれこれと手探りそぞろ歩きの人生ではあった。「探しものの人生だ」と「人生は探しもの」か、なかなかしゃれたことを思い付いたな、と気の利いたフレーズを思い付いても、ないものはない。出てくるはずが出てこない。
ないないないない。毎日が、いつでもどこでも、ないないないないの、探しものの人生だ。
若いころは抽象的で形而上学的でいささか格好もよかったのだが、いまはどうだ。なんと即物的な探しものなのであろうか。 2024年6月15日 記
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