ブログ・エッセイ


中條誠子、井上二郎、森田美由紀、広瀬修子、山根基世、加賀美幸子、新日本紀行、よみがえる新日本紀行、音の風景、チコちゃん

歳を取って、面倒くさい性格がいっそう面倒くさくなってきて、テレビなど喜んでみる番組がますます少なくなってきた。こうなったら、もう音楽だけを聴いていてもよいのだけど、奥方もいるのでそうもいかず、テレビはもっぱら録画で好きな時間に観ている。
録画を撮って観ている番組のひとつに、「新日本風土記」と「よみがえる新日本紀行」とがある。日本の地理や地名も覚えられるし、民俗的な行事や儀礼も好きだから楽しく観られる。「よみがえる新日本紀行」は、もともとの元祖の番組「新日本紀行」が、「よみがえる新日本紀行」として再放送されているものだが、これは放映当時から好きでよく観ていた。「よみがえる新日本紀行」の最後には、現在のその地域の様子を再取材しておまけで放映してくれるからそれも楽しい。
そしてなにより、「新日本風土記」は、中條誠子や井上二郎の語りがよい。今どきの紀行番組など、俳優に旅をさせたり現地でインタビューをさせたりするのだが、それが実にノイジーでわたしなど我慢ができない。日本でも海外でも、この地域は面白そうだ、知りたいなと思っても、こうしたしつらえが不愉快でわざとらしく感じられてスイッチを切ってしまう。そんなレポートはいらないから、声のよいアナウンサーが、しみじみとした語りで淡々と進めてくれるのが心地よくて実によい。
「よみがえる新日本紀行」の最後のおまけの部分のアナウンサーは森田美由紀だ。この人も好もしいのだが、なんだか「チコちゃん」の番組で注目されてしまって、ちょっと嫌な気になってしまった。本人に罪はないのだけど。この「チコちゃん」、当初はしばらく観ていたのだが、そのクイズの答えをチコちゃんが言うその答えが、いかにも奇をてらっていて、作為的でしつらえ気味で意図的でわざとらしく、しかもそれに回答者もおもねっているのがあからさまで不愉快極まりない。この番組ももう引き際ではないかと思う。
と、まあこんな憎まれ口をたたいているようでは、ますます面倒くさい性格が高じて嫌われるし、ますます少数派になってしまう。「もう黙っとい!」と言われそうだ。
そうだ、ついでにもうひとつ言っておきたことがある。FM放送の「音の風景」だ。この番組では、こうした語りの番組でのNHKのアナウンサーの力量が試されているような番組だ。そう思って聴いているとまたおもしろい。
この「音の風景」での最高地点は、広瀬修子だと思う。このひとのアルトの語りが実によい。広瀬修子の語りのが一つの到達点だ。
まあ広瀬修子といい山根基世といい、わたしが「らじるらじる」で好んで聴いている「古典講読」や「漢詩をよむ」の加賀美幸子といい、だんだん狭まっていくわたしの数少ない「お気に入り」だ。大御所というかレジェンドなので、「お気に入り」というとおこがましいが、こんな面倒くさい老人のたわごとも許していただこうか。
2024年1月19日 記