ブログ・エッセイ


資料の処分、国立国会図書館、古書店、画像データ、資料目録

数日前に一庭啓二伝の二校を版元に返した。三校が出るまでにすこし余裕があるので、部屋や物置にある資料を整理・処分することにした。
京都ノートルダム女子大学の研究室に置いていた本や雑誌は、大学を退職する際に、今後使うと思って家に持ち帰った一部の資料のほかの大半は、知り合いの古書店に来てもらって、持ち帰ってもらった。したがって、いま家で持っている資料は、いずれ必要になるだろうとその時に判断したものばかりのはずだった。だが、たしかに「いずれ必要に」なった資料もあったが、半分以上は、いままで一度も参照することがなかった。
そこでここ数ヶ月の間に、別の古書店へ、数回段ボール八個ずつほどを引き取ってもらった。さらに180センチの高さのスチール書架も、数本分、地域の子供会の廃品回収に回ってきた業者に無理を言って、引き取ってもらった。こうして部屋に少しずつスペースを作って、残りの本や資料を移動しつつ整理しているところだ。
本や雑誌は、どこかの図書館で見ればよいので、いま残っている資料の多くは、一般的でない図書とコピー資料だ。満洲関係のものはまだ確実に使うから、コピー資料は、図書館でもらった本の函に差し込んで見出しを付け、書架の上にさらにボックスを置いて、二段にして置いている。
江戸の蔵書家関連の資料は、学園大からノートルダムに移るときに処分して、ひどく後悔し、必要なものをもう一度複写した苦い経験から、それらは置いておくことにした。
京都関係のものは、もう要らないだろうと思ってはいるのだが、念のためと思い、箱に入れたまま物置の床に積み上げた。
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図書館に長く勤務したことが災いしてか、本や雑誌が捨てられず、困ったものだ。国会図書館に所蔵がないものは、関西館に寄贈する。古書で流れそうなものは古書店に送る。一般に読まれそうなものは町のエコセンターに持っていくという具合に、執拗に「分別」するから面倒極まりない。国会図書館の関西館に出かけるときには、所蔵を確認したうえで、自転車で積める範囲で持っていく。車をやめたから、これも毎回持っていく量は知れている。
満洲および朝鮮関係の絵葉書類は、写真を撮って見出しを付けてWORDで打ったものをPDFに変換した。それをホームページに載せる予定をしている。京都関係の絵葉書はこれから取り掛かる。こうして整理しておけば、どこかの図書館が引き受けてくれるだろう。
問題はやはり複写した資料だ。必要になってもう一度見に行くにしても、遠隔複写を依頼するにせよ、かなり手数がかかる。おまけに今のご時世、コロナで自由に図書館には出かけられない。だがそうも言っていられないので、一点一点もう一度見たうえで処分することとし、今後に必要となったとき困らないように、リストに書き出すこととした。そして、タイトルでまとまっているわかりやすい複写物は、処分しようかと思っている。
だが、いまこうしたことを書きながら、やはり迷ってしまい、どうしようか、やはり紐でくくって置いておこうかと、心が揺れ動く。世間では、ダンシャリとかいうようだが、捨てられない性格の者にとってはつらい作業だ。おまけに時間がかかって仕方がない。だがまあ、仕方がない。そういう性格なのだから仕方がないのだ。 (2021年5月1日 記)