ブログ・エッセイ


夏野菜、連作障害、ねばねば系野菜、電車内でできる仕事、仕事部屋

夏野菜の時期になった。夏野菜を代表する、茄子やキュウリ、トマト・ピーマンなどの苗の植え付けは、暖かくなる五月の連休明けでよいな、とこれまで思ってやってきたのだが、最近は売り出しがどんどん早くなって、園芸店では四月早々から店先に並び始める。
そんなことから、急かされる気分になってしまい、これら夏野菜だけでなく、ツルムラサキや空心菜・モロヘイヤなど、間違いなく収穫できる葉っぱ系まで早蒔きしてしまう。案の定、芽が出ず失敗する事とあいなる。気温が上がらないと芽を出さないとわかっていても、ついつい早蒔きして、「早く芽を出せツルムラサキ」とばかりに苗床をのぞき込む毎日だった。園芸店にすれば、時期よりも早く店先に苗を並べれば客が買っていくのかもしれないが、善良な家庭菜園家を、そんなにせっついて急かせるのはどうかやめていただきたいと切に願う。
そんなわけで、早々だと芽が出にくいツルムラサキや空心菜・モロヘイヤなども、六月に入って暑くなり、ようやく芽を出して畑に定植することができた。連作障害などで畑の地力が衰えて、だんだん出来が悪くなる茄子やキュウリ、トマト・ピーマンの豊作はなかなか望めなくなったので、頼みの綱は、これらツルムラサキや空心菜・モロヘイヤだ。それとコンスタントに取れるオクラなどの「ねばねば系」野菜で、今年もこれらをもってなんとか暑い夏を乗り切りたいと考えている。
ところで、わたしは豆がことのほか好きなのである。秋口には毎年、絹サヤ・えんどう豆・スナップエンドウ・そら豆の種をかならず蒔く。毎年毎年飽きもせず作っているので、これも連作障害が起きてあまり出来は良くない。せまい耕地なので、何年か前には必ず豆類を作っているからだ。それでもめげず、ともかく多めに種を蒔いて、少しでも収穫量をあげようと試みる。今年は春の結果はと言うと、絹サヤはまずまず出来るのだが、えんどう豆やそら豆はさっぱりだった。
これら秋蒔きの豆の収穫をなんとか終えて、初夏にはいんげん豆や枝豆、そして枝豆として食べる黒豆を蒔くことになる。これらは連作障害もさほどきつくは出ないような気もする。今は七月前半だが、いんげん豆がよく穫れる。
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前にも書いたように、畑野菜を洗ったり調理したりするのはおおむね生産者たるわたしの仕事である。面倒だが仕方ない。葉がきたないとか、虫が食って穴があいているといって捨てられるとたまらないので自分で洗う。それらを捨ててしまうと、食べるところがなくなってしまうという事情もある。だから、とりわけ葉っぱ物の、煮びたしやお浸しなどは、洗った勢いで作ってしまう。
奥方もわたしと足並みをそろえて歳を重ねてきた。そして料理もできれば作りたくないという様子だ。それもよく理解できる。だが、かといって、わたしとて畑から帰って疲れているときなど、できればしたくない。
そしてまた、絵を描いている奥方は、大きな絵を出品しないといけない画会の展覧会の締め切りが近づいてくるにつれて、ますますその傾向が強くなってくる。その結果、自分の制作時間を確保しようと、何とかわたしが料理をするように水を向けてくる。以前作ってくれた何々は随分とおいしかったじゃない、冷凍庫に何々と何々の肉があるわよ、先日「きょうの料理」番組でやってた何々は畑の野菜が旬だね、といった具合だ。
わたしも元気な時や、時間のある折には進んでやるのだが、そんな時ばかりではない。そして、あまりに水の向け方があからさまな時には、反撃を試みる。例えば、わたしが野菜を洗って料理すると、雑草も混じってしまうが、それでもいいのか?と言う具合だ。そんな時、彼女は動じることなく、いいよ、食べるときに選って出すから、と答える。よくよく考えてみれば、その料理はわたしとて食べるわけだし、わざわざ雑草を投入するわけもなく、慎重により分けてはいる。敵もさる者である。
敵もさる者、といえば、こんなこともあった。ずいぶん前のことだが、わたしの仕事部屋と、奥方の絵を描く部屋との取り合いになったときのことだ。二人とも、広くて南向きの部屋を獲得したい。いろいろ議論をしたのだが、さいごに彼女が言い放ったこと、それは次のようなものだ。あんたは電車のなかでも本を読んだり資料をみたりの仕事ができるじゃない?わたしの場合はそうはいかない、と。
なるほど、そう言われてみるとその通りではないか、なかなかうまいことを言うと、その時は感心した。だがよくよく考えてみると、そういう問題でもなかろう。今になっていささか腹も立ってくるのだが、まあしかたない。こうしてわたしが得た仕事部屋は、七畳の洋間で、窓は東北と西北だ、そして、いまとなっては、部屋の本や資料はだいぶ処分、撤退の一途である。部屋の広さは七畳で十分となってしまった。
先日、開閉しなくなったCDプレイヤ―も1万円で修理した。本を処分し書架も取り払ってすこしだけ広くなったこの部屋で、音楽でも聴きながら本でも読むとしよう。住み慣れてしまえば、この部屋もけっこう居心地もよい。(2021年7月4日記)