ブログ・エッセイ


杉浦明平、家庭菜園、渥美半島、福江、田原市、キャベツ

杉浦明平は終戦前の昭和20年4月、渥美半島の福江(現田原市)に戻り、以来ずっとここに住んだ。地主で雑貨商の家に生まれた杉浦は、四十歳過ぎになった時、二反五畝ほどの畑が小作から返されて農耕を始めたという。二反五畝といえば750坪ほどの土地である。その半分に果樹を植え、残りの農地を畑にして作物を育てたというから、300坪ほどを畑にしたということだろう。わたしなどの、30坪足らずの家庭菜園とは規模もレベルも異なるものなのだが、杉浦の農園作業に興味を持って、『老いの一徹、草むしり』(1984年 PHP研究所)、『私の家庭菜園歳時記』(1999年 風媒社)の二冊を読んでみた。
杉浦が畑作をやるにあたっての決意は次のようなものだった。ひとつは、あくまでもアマチュア百姓に徹すること、つまり自分の好きな野菜だけを作り、それを決して売らないこと、もうひとつは、これらは自家用の野菜だから農薬はできるだけ控えること、どうしても農薬が必要な時は即効性があり低毒性のものを使うこと、ということだった。
また畑に与える肥料に関して、こうも言っている。有機農法というのは理屈上では賛成だが、現実にはアマチュアには不可能に近いと。それでも杉浦は、自宅で出た生ごみは畝の溝に埋めたりする。だがそうした生ごみは、野犬や捨て猫が掘り起こされてしまい、結果的にはそれで苗をダメにすることも多々あった。
そして問題は結局のところ、時間と労力との兼ね合いであり、自分の畑ほどの広さに必要な堆肥作りをやり始めたら余暇のほとんどがそれに費やされることになってしまう。そんなことから、肥料については、堆肥や鶏糞・牛糞なども使うけれども、主要には化学肥料を使っているのだと杉浦は述べている。
杉浦の言う、有機農法はアマチュアには不可能に近い、という記述はいささかショックではあったが、考えてみたらその通りであろう。杉浦の時代からは、種や苗の品種改良も進んではきたものの、杉浦の農地規模で、物書きという本業を抱えていたとしたら、無農薬・有機農法に徹することはとうてい無理であろう。それに周りはプロの農家ばかりであってみれば、あまりひどい失敗もしにくいという事情もある。
わたしの30坪ほどの菜園とはわけが違うし、わたしたち菜園家は、家庭菜園なのだ、として居直ってやっている。定年後のわたしでも、まだ思い切り悪く、ものを書いたり本を読んだりしていて、菜園に全力は注げない。言い訳がましいが、どうしても、片手間感は否めない。そんな自分を杉浦明平と比べて論じるのも申し訳ない限りだが、その構造は同じであるかなと思ったりする。
杉浦の本を読んでいて、思い当たること、なるほどと合点する点はいくつかあった。その一つにキャベツに関しての文章がある(「キャベツの味」『老いの一徹、草むしり』)。
ある年の秋の暮れ、東京から福江の杉浦のところに編集者がやってきた。豊橋から約一時間半をバスに乗ってやってきたのだったが、その編集者は、バスの窓から道の両側にみえた「みんな緑色の野菜」は何でしょうかと尋ねる。杉浦が、あれはキャベツですよ、というと編集者は、キャベツってあんなに緑色ですか、もっと白いものじゃないのですか、と驚くのだ。杉浦は、キャベツの葉はすごく濃い緑色だが、都会に出荷するときには、外の葉を剥いてしまうので白っぽくなるんですよ、と答えたのだった。
この話題に関して、キャベツを作ってよく見知っている杉浦は、キャベツというのは、一番外側の濃緑の葉っぱは硬くて食べにくいが、その次にくる緑がかった葉っぱこそ、味もよく、栄養に富んでいるものだ、キャベツの玉をめくっていくにつれて、緑色が薄くなり、芯に近づくとどんどん白い葉っぱになり、味は薄くなる、こんなキャベツの白い葉など、味がなくて、ぬか漬けにでもしてたべるよりほかに食べようがない、キャベツを作る者はみんなそう思ってると、力強く書いてくれている。
その通りだ。キャベツは、あの外葉こそがおいしいのだ。いささか固いが、あの緑の部分にこそ、キャベツの味がある、とわたしも思う。まあ、わたしの場合は、虫に食われた緑の外葉を剝いで捨てていくと、食べるところがなくなってしまう、という悲しい現実もあるにはある。奥方に千切りにしてもらうと、緑の外葉や虫に食われた葉をどんどん捨てられるかもしれないと危惧して、自分で刻む、という事情もある。
緑色の外葉や虫に食われた葉を刻んでいると、何か自分がケチ臭くて勿体ながり屋に思われて気が引けることもあった。そうだ、杉浦のいう通り、緑色の葉っぱこそが、本来のキャベツの味を保持しているのだ。そしてついで言えば、虫に食われている葉っぱはそれだけおいしいということなのだ。これからは、胸を張って、キャベツ千切りに励むことにしよう。
杉浦はこのキャベツの話題に関してもうひとつ、東京住まいの姪っ子のことを紹 介している。共同炊事場のアパートに住む杉浦の姪っ子は、炊事場でいつも一緒になる隣の奥さんが、キャベツのうす緑色の葉っぱをせっせと捨てているのをみて、自分のキャベツの芯に近い部分と交換してほしいと申し出たのだという。田舎育ちの姪っ子は、キャベツはこの緑色の部分がおいしいとよく知っていたからである。この交換は、彼女が仕事の転勤でよそへ引っ越すまで続いたという。
そういえば、近くの生協のキャベツやレタス売り場には、その場で外葉を剥いで捨てるお客さんのためのスペースが設けられてある。まさか捨てられた緑の葉をもらって帰るわけにもいかないし、店で売っている野菜には、農薬をかけているだろうから、そんなこともできますまい。畑の帰りに生協に寄って、緑の葉を袋に入れて持ち帰るようなことをすればたちどころに係の人が向かってくるだろう。その行為に加えて、畑帰りの時など、身なりもうす汚いから、怪しまれること必定である。
キャベツの苗は近年品種改良が進んだ。冬場にとれるキャベツは、肥料をやりさえすれば、結構きれいなものが獲れるようになった。わたしの腕は相変わらず上がらないのだが、キャベツの苗は、確実に腕を上げていってくれている。
2021年2月27日 記