ブログ・エッセイ


大場利康、『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』、書評、満洲帝国国立中央図書館籌備処

年が明けて2019年を迎えた。
歳をとるにつれて能率も上がらなくなり、いくつかの仕事を並行して満足にできなくなってきてしまったことから、遅々とした歩みだが、まずは一つずつ、今年も仕事を進めていきたいと思う。
昨年にやるべきことで残してしまったこと、その一つは、一昨年秋に刊行した拙著『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』の書評を書いてくれた大場利康氏に、この場を使ってお礼を述べることだった。今日書こう、明日には必ず、と思いながら、ついに年が明けてしまった。
その書評というのは、『図書館界』(vol.69 no.5 2018年)に載ったものだ。この『人名辞書』は、力を込め、自費を投じて刊行したものの、思うようには売れ行きも伸びず、いささか気落ちしていた時期でもあって嬉しかった。そして何より嬉しかったのは、これまでのわたしの営為をよく見てくれているということだった。わたしのささやかな営為の全体を、あたかも毛細血管を巡る血液のすみずみまで目配りし、わたしの問題意識をすくい取って書いてくれている。このことがこの上なく有難かった。
大場氏はまず、この『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』前段階の科研報告書「戦前期「外地」活動の図書館員リスト(途上版)』と、今回の『戦前期外地活動図書館職員人名辞書』とを、「菊池租」の項目を取り出して比較してくれる。わたしには有難い項目の選択だった。
ここでわたしは、菊池が、国際文化振興会で一緒だった堀田善衛と終戦直後上海で同人誌を刊行したと回想していることについて、堀田の残した著述にはその記載がないこと、堀田がその当時は簡素であったという魯迅の墓所に出かけたとき同道したのが菊池だったか武田(泰淳)だったか、といった堀田のあいまいな回想など、「菊池租」の項目にわざわざ書き込んでいることを取り上げてくれて、「一般的な人名事典ではあり得ないような、菊池に関する記載なのかどうか明確に確認できない事柄まで記載されている」と述べる。
大場のこうした取り上げはわたしにとってはこの上なく嬉しいものだった。「一般的な人名事典ではあり得ないような」事柄をこそ書き込みたいと思って、この人名辞書を編纂し、版元の編輯から意見を差し挟まれないように、自費で刊行しようと考えたからだ。
大場はこうしたわたしの編纂の意図をよく見抜いて読んでくれ、一方ではあきれながら、一方では共感してくれながら、書評を書いてくれているとわたしは勝手に実感するのである。
そしてかれは、わたしが外地の図書館職員として活動の実績が知れている人物だけでなく、所属だけしか判明しなかった人物までをも項目を立てて辞書に盛り込んでいることについて、「職員を取捨選択するのではなく、職員総体を指し示すことによって戦前期外地での図書館活動の総体を見極めるだけの研究基盤を築いておきたい」というわたしの根っこにある問題意識を取り上げてくれる。そう、外地で働いた図書館職員の全員を採録することこそが、他の人名事典と境を異にする大目標であったのだ。
そして大場は、『満洲出版史』でもその時代や場面に登場する人物の事績をこと細かく書き連ねていることにも通底するやり方だと、わたしの意図を理解してくれる。『満洲出版史』の、この一々の事績記述が煩わしいという評もあったから、それはなおさらのことだった。
またさらに、この人名辞書をわたしが一人で作成しようとしたことについて、『江戸の蔵書家たち』の小山田与清の索引の網目に関して、それが「無用の長物」であったとしても、つまり鳥が掛かるのが網の一目であったとしても、数多くの網目が用意されていてはじめて捕獲が可能であるという文章を引いて、「「わたしの記憶」に立ち返り、「わたしの索引のシステム」を作っていくよりほかにないだろう」と、現今の大がかりな索引システムの前で立ちすくんでいる今のわたしの姿も見通している。
これは大場が、国立国会図書館という巨大な索引システムのなかに身を置いて仕事をし、そのなかで自身の立ち位置を幾度も幾度も振り返っている氏の姿と二重写しになっている。つまり、利用者の必要なものが網の一目にかかるものであったとしても、数多くの網目が用意されていてはじめて捕獲が可能となるのだ、という現実の大場の仕事の位置取りのことである。
そうしたシステムに身を置いて、その意義や意味を、もちろんそれを肯定はするのだが、けっして無前提的に無批判に肯定しているのではないという、迷惑かもしれぬが、そんな大場の姿も見ることができる。そのことは、偽満洲国ながら国立図書館として準備されてきた満洲国立中央図書館籌備処について詳細に論じた氏の労作「満洲帝国国立中央図書館籌備処の研究」(『参考書誌研究』国立国会図書館(62) 2005年3月)にも通底する問題意識であるように思われる。
そんな大場は、この書評の最後の箇所で、わたしが、「わたしの記憶」に立ち返って「わたしの索引システムを作っていくほかないだろう」と、いささか牧歌的な思いを述べたことに対して、この『人名辞書』だって、金沢文圃閣の復刻資料や国立国会図書館をはじめ全国各地の図書館の、いわば整備された索引システムあってこその論述ではないのかと、わたしの牧歌的な気分と願望に一撃を加える。つまり「わたしの記憶」に立ち返って「わたしの索引のシステム」を作っていくほかないだろうという『江戸の蔵書家たち』のモチーフと、必要な資料は、NDL OPACやCiNiiで確認して資料閲覧に出向いているわたしの「研究スタイル」はあきらかに背反しており、「公的標準的な索引」を縦横に活用した結果ではないかと述べられてしまっているのだ。
この点については、そのとおりだったと首をうなだれる他ない。「所蔵機関を確認して閲覧に出向いて資料をみるという作業も苦にならない」と、いささか無理な体勢から「江戸の蔵書家」の気分に寄り添った記述をしてしまったのが、不覚であった。
しかしながら、とわたしは思うのだ。こうしたわたしの牧歌性に引っ掛かりを感じ、気になってそこを突いてきてくれるというのも、「江戸の蔵書家」のなかで書いた、「わたしの記憶」「わたしの索引のシステム」というものを、大場自身もどこか心の奥底に、伏流水のように抱え持って日々の仕事をしているのではないか、とそのように勝手に思っている。というのもそれは、わたし自身が大阪府立図書館で、収書係・書庫係・自動車文庫・閲覧課・児童室や対面朗読・大阪資料室などいくつかの部署を回っていたその時どきに、ずっと抱え持ってきた裂け目でもあったからである。
わたしが大阪府立図書館を辞める時、それまでずっとやってきた研究会で、メンバーのKがわたしの書いてきたものを論評してくれたことがあった。そこでかれは、わたしの論述が、現代の図書館論から満鉄図書館の蔵書、江戸の蔵書家へと「退行していく姿が見てとれる」と的確な批評をしてくれて、これも嬉しかったが、今回のこの大場利康の書評も、これまでの論述をよく読んでくれたうえでの、まことに的確で有難い、わたしには救いとなるものだった。
大場が言うように、巨大で「公的標準的な索引」と、「わたしの記憶」「わたしの索引のシステム」との裂け目を、もうしばらく大事に抱え持って、今年もやっていきたいと思う。うまく書けたわけではないが、昨年から懸案の大場利康への「お礼」を書くことができて、ひとまず安心のお正月である。 (2019年1月6日 記)