ブログ・エッセイ


『二十歳の原点』、NHK関西熱視線、上から目線、先から目線

金曜午後7時は、いつもどおりNHKニュースだが、そのあとの7時30分から関西熱視線という番組がある。ニュースのあとの流れがよいことから割と観ている番組だ。2月10日だったか17日だったか、高野悦子の『二十歳の原点』がいま若者たちに読まれている、ということを取り上げていた。
いまの若者が、二十歳の自分自身を、高野悦子の二十歳の時代の手記と照らし合わせることで、自分の悩みや進む方向や生き方を考えているのだという。つまり自分自身の客観化というか対象化を、高野悦子の手記で行っているということなのだろう。
もちろんわたしたちとてそんな歳ごろはあり、そんな年代には、そのようなやり方で、つまりいろんな小説や評論、思想書を読み、またときに映画を観たりしながら、あれこれと考え込んだりしていたのだと、懐かしく思い起こした。それはわたしにとっては50年ほど前のことになる。そしてこの番組をみながらあらためて気がついたことがあった。
いま書いたようにわたしたちは、あのような時代を、かのように、あれこれと考え悩んで生きてきた。つまりわたしたちは、彼らにとってはいわば先行の世代である。だがこの先行の世代というのは、往々にして、なにか既に体験した先行者としてのおごりというか、既体験者の、上からの目線というか、そのような視線で若い者たちを眺めがちにもなってしまう。
わたしは、50歳になり大学の教員に転職ししたのだが、大学で二十歳前後の若い学生諸君と日々接することになる。世代間ギャップはもちろん大きな違和感となって現れる。そして、そのとき、ささやかながら心に思い定めたことがあった。今回の番組を見ていて、そのときのわたしの思い定めとどこか共通したものがあるなとそう思ったのだった。
それは、大学で若い学生諸氏と接するときに、彼ら彼女らの、気分というか思考というか感性というか、そのほんの一部でも、若い時代のわたし自身が持っていた気分や思考や感性と通じるものがあれば、それを大事にしていこうということだった。
大学の現場に身を置いてみて、多くの教員らが、学生たちを、なんというか上からの目線で、先行者の立場で、「指導する」という姿勢がひどく目について、嫌な気分がしたからだった。
もちろん学生は若いし、教えられる存在でもあるのだから、その構造は変えられない。だけど、この悉無律的な、つまりAll or Nothing の考えをもってしまえば、大学での自分自身の時間が実につまらないものになってしまうのではないかと考えた。そして、学生と話をしていて、もしも何か共通の思いや、若いころ自分もそうだったと思われるものがあれば、そこにはかならず反応し共振しようと、そう思って、学生諸君と接することとした。そう考えることによって、わたし自身がずいぶん気が楽になり、身軽になった気もした。研究室は当初から開放していたが、ゼミ生だけでなく、その友人たちもよく滞留するようになった。
この「上から目線」「先から目線」は、なにもわたしの専売ではない。わたしたちが20歳のころ、わたしたちの運動に対して、大学内でも多くの批判があったが、なかには共鳴してくれた教員諸氏も確かに存在していた。その当時の教員のことを思い返してみると、おそらく彼らも、自分自身の若い時代に抱いた気分や思考や感性と、どこかで共振して、他の部分では支持できなくても、この共振できる部分を胸奥に抱えて、わたしたちに接してくれたのではないかと今にして思う。
いまわたしは大学も定年となり、学生と恒常的に接することはなくなった。それでも、こうした「先から目線の相対化」とでもいう姿勢は、子どもや孫に対して接するときにも、すこしは役に立つかと思ったりしている。
ついでに番組についてひとこと言わしてもらえば、高野悦子が立命館大学で過ごしたのは河原町の広小路学舎の時代であった。番組では衣笠学舎が写っていたように思うが、場所の持つ力というのは大きいものがある。しあんくれーるというジャズ喫茶は、河原町通りの荒神口にあった。今の衣笠学舎とは、場所も雰囲気もずいぶん違ったものがあったと思う。場所のもつ力、というものも軽く見るわけにはいかないのではないかと思う。 2017年2月23日記