ブログ・エッセイ
NEW!! 三河田原、豊橋鉄道、キャベツ畑、「下手な菜園家の負け惜しみ料理法」、田原市街歩き案内板、田原市博物館、岡田虎二郎墓所、岡田式静坐法
二日目は豊橋鉄道渥美線で三河田原に向かう。市内線も乗る予定だったから一日乗車券を買った。でもこの一日乗車券の渥美線は杉山駅までとなっていて、三河田原まで行くには乗り越し運賃が必要になる。どうしてこんなことになっているのかわからない。三河田原駅で駅員に尋ねてみたら、杉山からこちらは豊橋市ではないから、という答えだった。これは豊橋鉄道の一日乗車券だし、市をまたがっていても問題はないと思うのだが。
この前に電車好きの孫と京阪電車の一日乗車券を買って乗車したが、京阪電車は、大阪府・京都府にまたがっている。豊橋鉄道の一日乗車券を三河田原までをも含めたら便利だし好評を博すと思うのだがいかがであろうか。観光にも一役買う。
まあそれはいいとして、電車に乗って車窓を眺めていると。例の杉山駅を過ぎたあたり、田原市に入ると沿線の畑はキャベツ畑が広がっている。この時期の収穫に大忙しだった。
以前に書いたことだが、杉浦明平の野菜作りエッセイで、明平さんの娘さんが東京のアパートで独り暮らしをしているとき、共同炊事場で一緒になった隣人が、買ったキャベツの外葉をバサバサと捨てているのを見て、「その青い葉っぱがおいしくて栄養なのに」と言いい、なかの方のキャベツの白い部分と外葉とを交換した、という話が書かれてあった。わたしの場合は、満足なキャベツが獲れない、という決定的な事情もあるにはあるのだが、この明平説を固く信じて力を得て、わたしも、外葉は捨てない。生のサラダは固くて無理だから、細かく切り、スープの具にしてよく煮込む、または、じっくりと野菜炒めだ。いずれ、「下手な菜園家の負け惜しみ料理法」なのだけれど。
三河田原駅に到着し、駅前にある観光案内所で市内観光地図をもらうべく行ってみた。ところが閉まっている。本日は日曜日だというのに。ま、入口にパンフレットは置いてあったので、必要なものを確保して駅にもどる。よく見てみると三河田原駅の待合室にも置いてあったのだった。
今回の田原旅行の目的は、岡田虎二郎の墓所を詣でること、虎二郎旧宅などゆかりの場所を廻ること、そして田原市博物館で過去の展覧会図録を入手することだ。地図を見て大体の見当をつけて出発した。
田原市観光案内所はお休みで残念であったがこの町の史跡巡りの案内掲示図はよく行き届いたもので、わかりやすい。要所要所、各所各地域に立っていて、その史蹟に行くと、「次はどこ」と案内矢印も示されてあって実に親切、迷うことはない。
それにこのパンフレットの案内地図も出来は上々だ。実際の地理に即していて地図は比較的正確である。各地の観光地でもらう地図にはデフォルメされているものもたくさんあり、それは見るには楽しいが、実際に現地で使ってみると不正確で迷ったりする。わたしは列車で駅に着いて案内刊行地図をもらい、それを頼りに歩くのが常としているが、そのとき、案内パンフレットが正確であると迷わずに済む。そして要所要所の案内矢印。田原市では、「かゆいところに手の届く案内表示板」であった。
というわけで、まずは駅前の城寶寺。ここに渡辺崋山夫妻、子の小崋夫妻、ご母堂の墓がある。お参りして田原城跡の市博物館に向かう。ここで過去の展覧会図録を購入した。渡辺崋山は今回見送って、『中原悌二郎と岡田虎二郎』(2007年)、『杉浦明平の世界-「みんペーさん』の記憶と魅力』(2010年)、『杉浦明平の眼-ルポルタージュ 自己を失わない生き方から小説・批評エッセイへの軌跡』(2013年)の三冊を買った。図録だから結構重い。せっかく荷物を豊橋のホテルに置いて身軽になってやって来たのに、また重い荷物を抱え込むことになった。仕方ない。市販してない出版物だから。
市の博物館で対応してくれた職員の人に虎二郎の墓所のことなど尋ねてみたところ、墓所の場所や崋山会館のことなどをくわしく教えてくださった。
虎二郎の墓所がある蔵王霊園は、「権現の森に入る手前で右に曲がるのですよ」と親切だ。あわせて「明平さんの墓所は?」と聞くと折立町とおっしゃったか、「それは少し遠いですね」とのこと。よくご存じでいろいろと詳しく、実際に墓に詣でたこともおありなのであろう。郷土の人物に対して愛情もよく感じられ正確なご教示でありがたい限りであった。
観光案内でも出版物の案内でも墓所などの案内でも、「案内なるもの、こうでなくっちゃな」。そういえば豊橋駅の観光案内所で、「スターバックスのような喫茶店ではなく昔ながらの喫茶店はないか?」と聞いたらたちどころに2軒教えてくれた。これも案内所職員さんが実際に利用したりしている喫茶店なのであろう。「こうでなくっちゃな」。
重い図録をリュックに入れて、重たいが少しく気をよくして、市博物館から池ノ原公園を抜けて権現の森へ。博物館で教えてもらった通り、権現の森の入り口で右折する。墓所はすぐに分かった。岡田虎二郎は突き当りの高台に祀られてあった。並んで、町にコレラが流行した時防疫に尽くしコレラで亡くなった江崎邦助巡査夫妻の墓や、儒学者伊藤鳳山らの墓と並んで建っている。町を眺めるようによい感じで祀られてあった。
お参りをして、写真も撮らせてもらって丘をおりた。いささか疲れてお腹も空いた。駅に置いてあった交通案内に「ぐるりんミニバス」というのがあったなと思いパンフを取り出してみた。「権現の森」というバス停もあったなとおもってバス道に出たが、バス停がわからない。とりあえず歩くかと、案内地図を片手に、なるべく近道をさがして歩いた。
今回の岡田虎二郎は、臼井吉見『安曇野』に、木下尚江が虎二郎墓所の掃苔に出かけたことや、著作を遺すことを好まなかった岡田虎二郎の語録、またヨガの佐保田鶴治も書いている『静坐のすすめ』などでよく見知っていたこともあって、一度田原市を訪れてみたいと思っていたのであった。
それと、いま調べている満洲国の建国大学教授だった森信三が、不遇の少年期にたまたま会った岡田虎二郎の威容に圧倒され、戦後に「立腰運動」を提唱したということ等々、今一度この森信三のことを考えてみたいと思っての訪問であった。
ともあれ、有意義で楽しい小旅行となった。
2026年1月20日 記