ブログ・エッセイ


37 飯澤重一 『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち

飯澤は康徳6(1939、昭和14)年9月号に総務庁主計処長の肩書で「統制の辨」を書いている(目次では重二となっている)。
飯澤は明治35年の生まれ、長野県上伊那郡川島村の出身である。昭和3年東北大学法文学部を卒業し高文試験に合格、満鉄に入社しのちの大同元年6月には満洲国に移り、国務院参事官・法制局第二部長代理・総務庁参事官などを歴任、建築局総務処長兼大同学院教官を務め昭和15年5月には古海忠之の後を継いで総務庁主計処長となり昭和17年5月まで務めた。ついで吉林省次長に転出している(『満洲紳士録』) 。 
共著・分担執筆に、「滿蒙に於ける我が特殊權益の歴史的考察」『滿蒙事情十六講』(新天地社 昭和5年)、「滿蒙に於ける我が特殊權益の歷史的考察」『満洲問題の基調』(新天地編輯部編 創建社 昭和8年)などがある。
昭和50(1975)年刊行の『満洲建国の夢と現実』(国際善隣協会編 謙光社)に国際善隣協会理事長として序文を書いている。昭和54年2月に刊行の『国民体育大会の歩み 増補改訂』に日本体育協会専務理事として序文を書いている。戸塚カントリー俱楽部のホームページの「倶楽部の歴史」には、昭和58年5月に「飯澤重一理事長逝去」とあり後任の人事が掲載されている。 2024年3月4日 記