ブログ・エッセイ


4 中澤不二雄、大連満洲倶楽部、満倶、満洲日日新聞

『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち
4 中澤不二雄
大連満洲倶楽部(満倶)に在籍した中澤不二雄も『月刊撫順』昭和5年7月号に「野球選手の第六感」、『月刊満洲』昭和13年1月号に何人かのコラムだが「僕のニックネーム」を書いている。
中澤は明治25年の生まれ、大正5年明治大学の商科を卒業し東洋汽船、東西貿易営業部主任などを経て大正12年12月満鉄入社、昭和9年東京支社鉄道課第二係、弘報係主任(副参事)、総裁室勤務ののち、昭和15年6月満洲日日新聞東京支社長、昭和18年満洲日日新聞理事として新京に在住した。満鉄時代には、満俱(大連満洲倶楽部)の遊撃手および監督を務め、第一回都市対抗野球大会では優勝している。中澤「満洲建国十周年 満洲の野球」(『野球界』昭和17年3月)で満洲の野球史が概観できる。
戦後は野球解説者、またパシフィック・リーグ会長を務めた(中澤の満洲時代の野球の活動など 高嶋航 金誠編『帝国日本と越境するアスリート』塙書房 2020年、にくわしい)。 2023年2月10日