ブログ・エッセイ


キャベツ、ヤーコン、サトイモ、人参葉、白菜の外葉

昨年のわが畑では、思いがけずキャベツがよく獲れた。いささか嬉しくて年賀状の「近況」にも書いてしまった。「腕を上げたな」と言われたりするが、腕を上げたのは、わたしではなく、キャベツなのだ。
何年か前までは、キャベツの苗、植えても植えても、青虫などの虫に食われて、虫の食べ残しのキャベツ、散々なキャベツを食べていた。わたしたち三人組の菜園は農薬を使わない約束だから、菜園のキャベツなど、そんなものだと思っていた。ところが、昨年は、わりにきれいなキャベツを収穫することができたのだ。
わが菜園、自慢じゃないが、あまり努力せず、技術革新もなく、特段に進歩・進展はない。それなのによく獲れたというのも、きっと、わたしの腕ではなく、キャベツ苗自身の力量向上に拠っているはずなのだ。それにしても、キャベツというもの、最近は、春キャベツを別にすれば、あまり季節感がない。これもキャベツの地力が強化されたということか。
昨年は、サトイモもたくさん獲れた。たくさんといっても、わたしにとっての「たくさん」であって、困るほどの量ではない。それでも種イモを買わないで、一昨年のものを利用したから、これぐらい収穫があると二倍も三倍もうれしい。それに、けっこうおいしいのだ。今年はもっとたくさん作ろう。
それともうひとつ、ヤーコンもそこそこ獲れた。これも前年に収穫した後の塊根を植えておいて、芽が出たものを分けて六本つくったから経済効率は良い。
ヤーコンはアンデスの高地が原産なのだそうで、オリゴ糖がたくさん含まれて、栄養価が高い食材だといわれる。食べ方はいろいろあるようだが、わたしは、きんぴら風に炒めて食べる。
去年同様に今回もそのようにして食べたのだが、どうもお腹の具合がよくなかった。皮ごと調理したのがいけなかったかと思ったが、皮も食べられるらしいし、たくさんの量を食べすぎて、胃腸が「過消化」となったのかもしれない。いまは一回に食べる量を減らして、ヤーコンに、揚げやら人参やらサツマイモやら大根やらを入れてきんぴら風にしている。ヤーコンの葉っぱはお茶にもなるらしいが、まだ作ったことがない。
大根葉は湯がいておいて、ちりめん雑魚を入れてチャーハンにしたり、かつお節と混ぜてご飯にかけたりして食べる。人参葉も、若いものはお焼きにしたり、天ぷらにもなる。せっかく作った野菜だからと、なるべく捨てないで調理して食べているから、何かと忙しい。
そして、白菜など、虫に食われたり、汚れたりした葉っぱを、「外葉」だと捨てられたら困るので、こうしたあまり出来栄え見栄えの良くない野菜は、なるべく自分で調理する。だから、何かと忙しいのである。
畑から帰ってきて、野菜を洗って処理し調理したら、「終わった」「やり終えた」という充実感・達成感が沸々とわいてくる。だが、それにしてもスローライフは、ストレスがたまるほど忙しく手間がかかる。体によいのやら、悪いのやら、分からなくなっている。 2021年1月9日 記