ブログ・エッセイ


七草がゆ、畑、雑草、アザレア

昨日は1月7日で「七草粥」の日だった。セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの、「これぞ七草」だ。朝粥が本来なのだろうが、この日は夕食にと思って、寒風吹きすさぶなか夕刻畑に出かけた。「春の」といっても暦の上のことで、実際は厳寒、この日はことのほか寒風が身に突き刺さる寒い日だった。
この、セリ・ナズナ…の七草だが、そのうちのセリは、昨年畑の共有スペースにいっぱい生えていた。今年は、草抜きをしたり、生えていた場所でたき火をしたりしたものだから、あまりみかけなくなった。ナズナはいわゆるペンペン草、ゴギョウ(おぎょう)は母子草だ。これらは、もう少し暖かくなると畑に雑草として生えてくる。
ハコベラはあまり意識して探したことはない。ホトケノザ、わたしたちが普通に知っているものは、紫色の花を付けて畑にはびこる雑草なのだが、春の七草のホトケノザというのは、タビラコで、食用にするのはコオニタビラコというのだそうだ。スズナはかぶ、スズシロは大根、これは畑で作っている。
ペンペン草も母子草も、もう少し暖かくならないと畑では見ないように思うが、これらの食用「春の七草」は、セットにしてスーパーなどでは売っているのだそうだ。温室にでもしないと育たないように思うが、七草用に農家が温室栽培して出荷しているのだろうか。
というわけで、我が家では、夕食にと思い、寒い中を収穫のため、畑に出かけた。セリなど、勢いが強くて抜きにくいし、なずなのぺんぺん草は暖かくなると一気に大きくなり根も張っていささか困りものだ。また食用とは種類を異にするとはいえホトケノザなども畑にはびこる。そんな「畑の雜草」を食べるというのもあまり気が進まない。そこで、これら「春の七草」にこだわることなく、「我が畑の春の七草」を収穫し、これをもって「七草粥」にしようと、気を取り直して出かけた。
スズナ・スズシロは、「かぶ」と「大根」だから畑にある。かぶは葉っぱだけでなく白い部分も入れた。畑で収穫した残りの「七草」は次の通りだ。まずは白菜、といっても白いものではなく紫奏子という紫色の白菜だ。それから、ブロッコリーの小さな花芽、さらには。中国野菜だがターサイ、少し癖があるが山東菜を少し、それにネギを振ってともかく七つにした。そうまでして七つにしなくてもよいのだが、あるものを総動員して作ってみた。さすがに、ブロッコリーの花芽なども「七草」かなと疑問に感じたが、大きなブロッコリーではなく小さな花芽だから、まあいいことにした。お粥は塩味にしたのだが、けっこうおいしい。
そういえば、もう30年ほども前になるが、わたしたちの子どもが通っていた幼稚園のや放課後活動プレイスクールでは、この日に合わせて、七草がゆを作るのが恒例で、近くの公園などにも出張して作ってくれていた。時間が合うと、わたしたちも出かけてお相伴にあずかる。いまは時代の流れで、公園などでは火を使えないが、30年ほども前はそんなことも可能だった。
ところで家庭菜園の畑だが、近しい友人二人とわたしの三人でやってる。農薬や除草剤を使わない約束だから、梅雨時以降、雑草ものびのびと育つ。長雨で畑に出られぬスキを狙って雑草は我が物顔だ。梅雨から夏の季節は、春の七草のセリ・ナズナ・ごぎょうなどを含めて、雑草とのきびしい戦いとなる。
そしてこの辛い季節になると畑仲間とはいつも、「来年はどうする?」「もうやめる?」という話になる。これも恒例だ。その時どきに、だれかが、腰痛やひざ痛、気管支炎などで不調をかこっているから、弱気になったメンバーからそんな話が出る。でもすこし快方に向かったり、他のメンバーが、「まあもう一年やってみようよ」と言ったりすると、とりあえず1年延長とあいなる。そんな延長戦を、もう4、5年も繰り返している。
一昨年までは、近くに「アザレア」というおいしいイタリア料理の店があったから、そんな相談かたがた、夫人同伴で協議するのも、楽しみの一つだった。だがそのアザレアも店をたたんでしまった。昨年はコロナで会食もできず、なんだか、なし崩し的に、来年ももう一年は畑もやることになった模様だ。 2021年1月8日 記

2021年1月8日 記