ブログ・エッセイ


鮎太の教え―老後編

図書館時代の上司で、若い時期は鮎の友釣りを趣味とし、後年には俳句をよく詠んで、「鮎太」と号した御仁がいる。わたしは、その鮎太から、壮年・老年にむかうその途上でいくつか助言をもらった。助言というか、わたしがまだ元気だったころには、申し訳ない言い方だが、「余計なお世話」という気分になるような助言である。
例えば、寒い冬などには、ためらわずパッチ(ズボン下)をはくとか、駅などで階段を降りる時はポケットに手を突っ込まないで降りるとか、そんなたぐいである。
こうした「助言」だが、歳を重ねる間に、だんだん切実なものとなってきた。そして最近は、身にしみて感じる有難さと、幾分かの敬意とをもって、「鮎太の教え」と言い習わすようにしている。
十数歳年上の鮎太氏は、図書館を退職後、私立の大学教員となり、司書課程の科目を教えてきた。同じような道を歩んできたわたしにとっては、いわば人生の先行者でもあった。その「鮎太の教え」のなかで、近年とみに切実に思い、また「ありがたい教え」であると実感するところを少し書き留めておきたい。
一つ目は、朝起きて、ひげをそるという習慣をつけるということだ。少し前までは、「なんだそんなこと」と思っていたのだが、今は実感を持ってこの教えに同意し、実行している。もちろん仕事に出かける年代の自分にとっては、「余計なおせわ」に類することではあった。しかしながら今の退職老人わたしのように、歳を取ってくるとそういうわけにはいかない。朝、ひげをそるのが結構めんどうで大儀なことになってくるのだ。たとえひげそりがシェーバーによるのであってもだ。だから今は、目が覚めたら第一の行為として、「ひげそり作業」にとりかかることにしている。その後に体重計に乗り、血圧を測り、朝食の準備にかかるのだ。
朝食の準備といっても大した仕事ではない。菜園のチシャやレタス、夏場はキュウリやトマトでサラダを作る。生のままだったり、適当なドレッシングを作ったり。そしてケニヤ紅茶を入れて、まずストレートをマグカップに注ぐ。残った紅茶にミルクとスティックのシナモン半カケ、それに黒糖を入れて、チャイ風にする。シナモンスティックは近くの生協で買ったり安全農産でサードパーティーというのかそんなところで買ったりする。
ところで、それがある時期、生協の棚から消えたことがあった。スタッフに抗議かたがたの尋ねてみると、あまり売れ行きが良くないから仕入を中止したとのこと。わたしはコンスタントに買っているのだから仕入れて置いてくれと頼んだところ、少ししてから再開となった。だがその棚には、「組合員さんの希望で置いているが、利用があまりないとやめる」といった意味の掲示が出ている。需要供給の関係からいえばもっともな言い分だが、組合員の出資から成っている生協なのにと、いくぶん不快な気持ちを持ちながらも、買い支えないと仕入られなくなると思い、生協に行くたびに、数袋ずつ買って帰る。一時期家には、十数袋のシナモンスティックが引き出しに存在したこともあった。最近は、わたしのほかにも利用者がいると見えて、この張り紙はなくなった。
そしてもひとつ、黒糖のなのだが、ずっと粉ではなく小さな塊、それも不ぞろいのなかなかよい風情の黒糖を使ってきた。それの適当な大きさの塊をポットに入れて、木べらでゆっくり溶かして、ミルクとシナモンとをなじませていくのだ。冬場はアラジンの石油ストーブにのせてかき混ぜて作るのが、朝の楽しみのひとつだった。その塊の黒糖、ある日、今後は置かない、と通告の張り紙がある。これもスタッフに聞いたら、やはり売れないのだそうだ。やむなく棚に残っていた5袋ばかりを買い占めて帰宅した。どうも、このような退職老人のスローライフ、老後の楽しみは、やはり今の世には受け入れられそうにもない。
話がそれた。鮎太の教えの二つ目は、目が覚めたらかならずパジャマから着替えをすること、パジャマのままで過ごすという癖をつけないことだ。いまのところ、この着替えはそんなに面倒な気持ちにならない。ただ、時に、楽ちんなジャージズボンなどをはいているときなど、シャツや上着類をついつい丸ごと全部、ジャージズボンに突っ込んではいていることがある。下着のシャツをズボンに入れて、カッターやセーターやカーディガンをその上に出す、という工程を守らないで、全部をジャージズボンの中に入れ込んでしまうのだ。少し前までは考えられないことだが、最近は、例えばトイレから出てきたときなど、そのような行為に及んでいることがある。
三つめは、駅の階段、とりわけ上り階段などでは、手はポケットに突っ込まないで、かならず出しておくこと、そして階段の端を歩いて、いざという時には、階段手すりをつかめるようにしておく、ということだ。
少し前のことだが、わたしはJR京田辺の階段を下りていた時、危険な目に遭ったことがある。京田辺市には大学があり、JR京田辺の駅をかれらはよく利用する。もちろんもっと若くて元気な高校生もたくさんいるから、駅の階段などは、昇り降りがけっこう混み合う。その時は、わたしが駅の階段を下りていると、到着した電車に乗ろうとした大学生らしき男性が階段ふたつ飛ばしぐらいの勢いで昇ってきた。わたしは、鮎太の教えを守って、両手を使える状態にして階段の端を歩いていたから、とっさに手すりに手をやり、事なきを得た。正面からぶつかったわけではなく、少し当たっただけだったが、若い彼らの勢いは、まことに怖い。正面からぶつかっていたらと、いま思い返してもぞっとする。「危ないじゃないか」と一喝を喰らわしたことは言うまでもない。
いま「鮎太の教え」として実行しているのは、これらの事がらだ。まだほかに教えられたこともあったかと思う。それらは、なにか作業をやっていて、思い当たる節があったときに、忘れず書き留めたいと思う。(2020年7月2日 記)