ブログ・エッセイ


電動アシスト、自動車運転免許証、返納

三月いっぱいで、車をやめた。旧モデルのシエンタだった。乗り心地もよくて、何の不満もなかったのだが、運転が不安になり、乗らないことに決めた。来年度の税金がかからないように、三月中旬に、購入したトヨタのセンターに連絡を入れて引き取ってもらった。
運転免許証は、書き換えまでにまだあと三年ほどある。いそいで返すことはないので、しばらく身分証明書がわりに持っておこうと思うが、いずれにしてももう乗らない。居住の市が、返納時に何かよい特典を付けてくれないかなと思っている。
車の免許は、若い頃からずっと持っておらず、車があれば便利な子育て時期も俥なしで過ごした。娘が大きくなってから、「よその家みたいに、お父さんが髪の毛を七・三に分けて、日曜には車でスーパーに行くのが夢だった」と言われて、そうか、宋だったのかと笑ったのだった。
車なしでやってきたのだが、名古屋に住んでいた両親二人が、ともに体の半分が不自由になり、両親の希望でわたしの家の近くの有料老人ホームに入居することになった。そんなことから、急遽、免許を取得することにした。五〇歳になった時のことだ。
家の近くには同志社大学があることから、大学生も多く通っていて、教習で、たとえば路上に出たり、仮免の試験などは、これら若い学生との乗り合いだ。もともと反射神経や視覚・気力・体力に差がある。太刀打ちできるはずがない。
そして教官はといえば、三〇歳を超えたぐらいの若造教官だ。彼から、「おかむらくん、左に寄りすぎだろ!」とか厳しく言われて、つらい免許取得だった。
バイクの免許は持っていて、125CCに乗っていたから心得はないわけはなかった。運転免許も、格好をつけたつもりで、マニュアルを選択した。買ったシエンタはもちろんオートマだったから、思えば無駄なことをした。
歳をとってからの車の運転だから慣れない。出かけてどこかで食事をしようと思っても、食べ物屋を探し探し運転すると、ついつい駐車場を通り越してしまう。食事にありつけず、目的地に到着してしまったことが幾度もある。同乗の奥方から、不満たらたらの車の運転だった。
しかし免許返納で晴れて運転しなくても良くなったのだ。天下御免で、好きな列車移動ができる。なんだか重たい肩の荷を下ろした気分だ。
かわりに電動アシストの自転車を買った。ブリジストンだが、前輪でも発電するとかで、一充電で130キロ走るという触れ込みだ。たしかに「燃費」はよい。なかなか充電の電力も減らない。
少し前までは、電動アシストに乗っている人たちは、なぜにあんなにのんびりと、「超然たるスタイル」で乗っているんだろうと、不思議に思ったことだが、いざ自分でも乗ってみると、なるほど、それもよく了解できる。歳を取って体力がないこと、それに自転車が結構重いことだ。だから、電動アシストは、もともとスピードを出す車種ではないのである。
それにしても、わたしの運転はのろい。それも、歳をとってしまったからだ。しかしながら、わたしより年配と思われる女性にすでに二度も追い抜かされてしまった。
まあいい、安全運転に越したことはない。歳相応、体力相応だ。ゆったりと運転していこう。 (2020年4月2日 記)