ブログ・エッセイ


村岡、香美町、リゾートヴィラハチ北、喫茶「やまざと」、全但バス

続編
八鹿の青谿書院見学を終え、再び会長さんのご厚意に甘えて養父の市役所まで送っていただいた。実は前年には、墓参のための花を買う必要があり、八鹿駅から市役所近くの花屋さんまで歩いたのだったが、思いのほか距離があり、いささか疲れてしまった。今回は送っていただいて時間的にも体力的にもたいへんに助かった。
この八鹿の町にも子どものころよく来たのだったが、その昔は駅前から続く商店街は、たくさんの店が立ち並んでいて賑わっていた。しかしながらいまはまったくと言っていいほど、商店街の体を失っている。寂しい限りだ。
前年に昼食をいただいた「めし八」といううどん屋さんに今年も行った。うどんについているおにぎりが実においしくて、今回もまた出かけた。
歳をとったせいか、最近はお店の人ともよく話をするようになった。昨年もこのうどん屋さんのご夫婦とあれこれと話をした。一年に一度のお客だが、お店の人も前年に来たことをよく覚えてくれていて、また今年もあれこれと話しをした。
昼食を済ませ、花を買って、9号線のバス停から村岡に向かった。列車もバスも、まことに交通費がかさむのだが、まあバス旅行も楽しいからいいとしよう。村岡の支所前で全但バスを降りて、支所で墓参の水をくませてもらい、目的の墓参りも済ませた。
ところで今わたしは、明治2年琵琶湖に蒸気船を浮かべて一番丸船長を勤めた、奥方側の曽祖父一庭啓二の評伝を書いているのだが、村岡の墓参に来るたびに、岡村家のことも少しは調べてみないといけないと思ったりする。江戸期の人で大坂の升屋平右衛門の家に奉公に出たと墓石に刻んである人物もいたりして、少しは気持が動いたりする。墓碑のいくつかは拓本も取っている。
墓参を済ませ、山を下りて一休みと思い、川沿いの喫茶店「やまざと」でお茶をした。ここでも、店主さんといろいろと話をした。子どのころ遊びに来て知り合った中村典男さん、かれは惜しくも先年亡くなったのだが、かれのこともご存じで、お話を聞かせてもらった。
店を出て予定のバスに乗り、ハチ北口のバス停で降り、宿舎「リゾートヴィラハチ北」のお迎えのバスで宿舎に入った。ここは、もと門真市の保養施設だった「ロッジ門真」の時代から、墓参の折に泊まっている宿舎だ。かれこれ二、三十年にもなろうか。経営者も幾度か変わり、一時期食事が芳しくない時期もあったが、近年は食事もおいしく、墓参のおりの楽しみの一つだ。関宮町の銀海酒造「寺田」がじつに美味い。
年に一、二度ほどだが決まって泊まることにしているから、板場の人や、料理を運んでくれる従業員方とも顔見知りになる。何年か前に言ったとき、フロントにいた女性は、偶然にも先の中村典男さんと同級生だった。
近くの瀞川平には但馬高原植物園があり、空気もおいしく散策すると晴れ晴れとした気分になる。大カツラの脇をながれる水がこれまたおいしい。「木の殿堂」も近くにあって、これも楽しめる。展示も面白いし、木のおもちゃでも遊べる。
この宿舎は兎和野高原にあり、窓からの景色が実によい。この山あいの景色を眺めるだけでも十分泊まってみる価値はある。前年の宿泊の折には、朝起きると高原一帯に雲海が広がり、まさに「天空の里 兎和野」という光景だった。バス停まで送ってもらう時に聞いたが、こんなに見事に雲海がわくことも珍しいのだそうだ。いずれにしても、貴重な光景を味わわせてもらった。この雲海は写真におさめて、年賀状の図版と相成った。
村岡からの帰路は、和田山からの播但線、すべて各駅停車の予定だった。全但バスで八鹿まで出るべく乗り込んだのだが、八鹿駅近くの、市民病院のバス停で、乗客が運転手に長々と尋ねごとをしていて、バスはなかなか動こうとしない。八鹿・和田山・寺前・姫路と、列車の連絡を考えて旅程を組んでいるから、こちらも気が気でない。
全但バスも、コミュニティバスの役割を担っているから、むげに文句を言うわけにもいかない。そんなこんなで、7、8分も遅れてバス停を発車、八鹿に着いたのがちょうど列車の発車時間だった。駅員に、発車をちょっと待ってもらってくれと頼んだが、もちろんそんなことはできないという。あいにくのことに列車は跨線橋を超えて向こうのホームだ。すでに発車しようとしている。
列車は何本もあるわけではないし、乗り遅れるとすべて旅程が狂う。遅れてなるものかと、老体に鞭打ち、なりふり構わず階段を駆け上がり、ようやく、水平の橋を向こうのホームに行こうとした途端、荷物に振られてバランスを崩し、平地ながら、ばたりと転んでしまった。
「痛い」と寝転がっていると列車は発車してしまう。寝てるわけにもいかず、すっくと起き上がって階段を駆け下りた。動転狼狽慌てふためいて階段を駆け下りてくる老人の姿がちょうど運転士の目にもとまったのであろう、運転士は少し待ってくれて、ともかく乗せてくれて、一安心。乗り込んで体を点検してみたところ、打ち身・青あざ・擦り傷だらけ。それでも幸い大きな怪我はなく、大事には至らなかった。それにしてもひどい目にあってしまったものだ。
車の運転はこわいと、列車での墓参旅にしたのだったが、列車で旅をするのも危険が伴う。
それにしても、全但バス、もう少し余裕をもってダイヤを組んでもらえないものだろかな。             2020年2月4日記