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満洲冨山房支店長 浅利豊治郎の事績
満洲冨山房支店長 浅利豊治郎の事績
赤羽末吉の満洲時代のことを調べていたら、 康徳11年(1944)年12月に北村謙次郎らと共著で刊行した『五彩満洲』(満洲冨山房)に赤羽が挿絵を描いていることがわかり、大阪府立中央図書館国際児童文学館でこの資料を閲覧してみた。
またおなじく昭和19年12月に松尾茂 劉揖唐著の『満洲月暦』も満洲冨山房から刊行されていて、ここでも赤羽らが挿絵を描いていた。この資料も国際児童文学館の所蔵で、著作者発行者は満洲冨山房の支社長を務めた淺利豊治郎であった。
こんなことから、この満洲冨山房の支社長浅利豊治郎のことをもう少し知りたいと思っていたところ、詳細な年譜が盛厚三「夭折作家・野中賢三周辺の人たち① 鳥居省三と浅利豊((ママ))次郎のこと」(『釧路春秋』94 2025年5月)に掲載されていることがわかった。以下この盛厚三の「淺利豊次郎年譜」に導かれて淺利豊治郎の履歴をここに記しておきたい。
淺利は明治20(1887)年秋田県山本郡藤里町の生まれ。俳句を詠み菩是子・菩提子・並木凡平と称した。明治35年高等小学校を卒業し教員養成所に入所し小学校の代用教員となった。正岡子規の影響を受けて俳句を詠むようになる。札幌に移って石狩郡篠津屯田村の代用教員。明治41年3月には教員を辞めて釧路に転じ釧路運l。k輸事務所に勤務。ここで渡部泰哉・三好鉄嶺・大沢久吉・菊地三之助らを知る。翌明治42年には野中賢三と出会っている。大正2(1913)年北海道鉄道管理局の書記、大正3年5月東京鉄道管理局に転勤、さらに大正7年には名古屋鉄道管理局に異動となった。大正9(1920)年鉄道省の設置にともない東京にもどって鉄道大臣官房に勤務。大正13年ごろ全日本鉄道従業員組合書記長に就任。大正15年鉄道省を退職して出版社の鉄道生活社を創設、8月には『鉄道生活』を創刊した。淺利豊治郎著『国際労働会議と鉄道従業員』を刊行、また鉄道生活社(豊多摩郡淀橋町柏木)では鉄道関係、労働関係の本を出版する。昭和3年鉄道生活社を廃業とし官業労働総同盟10回大会で全日本鉄道従業員組合の代表として祝辞を述べた。従業員組合書記長を辞し編集顧問に就いた。昭和16(1941)年編輯嘱託を辞任して8月には冨山房に入社、渡満して満洲冨山房支店長となった。新京では俳句結社「柳絮会」に属して俳号を菩是子から菩提子とした。
昭和22年2月に引き揚げ、新京に所在した大学書房に勤務した。
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ここで大正15年に浅利が創設した鉄道生活社の出版物を国会図書館のOPACにより書き出してみると次の通りである。
横川四郎編『英国総同盟罷業の原因と経過 (鉄道生活社特輯パンフレット ; 1)』 大正15年5月
発行兼印刷人は浅利豊治郎、住所は東京府下豊多摩郡淀橋町柏木である。巻頭に「鉄道生活社の趣旨」が掲げられ、普選の実施による「一般民衆の台頭」や労使の闘争による「労働階級の自覚」といった社会情勢にあって、鉄道生活社は、鉄道従業員の社会的立場をよく認識し、「一大転期に処する準備と用意」を提供するために生まれた、と述べられる。これら鉄道生活社の発行人は「浅利豊治郎」と出ている。
松延繁次『英国鉄道労働運動 (鉄道生活社叢書 ; 第2輯)』大正15
発行者は浅利豊治郎である。
浅利豊治郎『国際労働会議と鉄道従事員 (鉄道生活社パンフレツト ; 第1輯)』大正15年4月
平山孝『鉄道財政の話』 大正15年12月
発行者浅利豊治郎の住所は、東京麹町十丁目十五番地 。昭和2年3月時点で第4版
岩崎磯五郎『通俗科学鉄道物語』 昭和2年11月
今野賢三『汽笛 : 短篇集』 昭和3年4月
売捌所は神田区表神保町の有精堂書店
石川順『支那の鉄道』 昭和3年7月
発行者浅利豊治郎の住所は豊多摩郡中野町大字中野 、発売所は巣鴨町宮下の四海書房である
岩崎磯五郎『通俗科学 鉄道物語』昭和3年
元吉理『国有鉄道の台所』昭和4年3月
瓜生卓爾『鉄道統計研究 我国鉄道の経済的観察』昭和4年10月
大売捌所は神田区中猿楽町の巌松堂書店
また満洲時代の満洲冨山房の出版物を書き出しておくと次の通りである。
浅田辰人編『音符解説 忠烈吟詠教本』康徳9年8月
巻頭の題字は張景恵、序は陸軍少将森田廣、関東軍報道部福山寛邦、(弘報処長)武藤富雄、天柱詩吟会長陸軍大佐高橋勝馬、(漢学者佐藤膽齋)である。発行所は満洲冨山房で新京豊楽路608番地、発行人は坂本守正、配給所は満洲書籍配給。
紀平正美『建國の哲學』 康徳10年7月
富永理『滿洲國の民族問題』 康徳10年8月
満洲藝文年鑑編纂委員會 編『満洲藝文年鑑 康徳9年度版』康徳10年11月
この年鑑の出版社一覧に載る満洲冨山房は「社長坂本守正、支配人営業部長江口政次、出版部長浅利豊治郎」の陣容である。奥付も満洲冨山房代表者坂本守正で配給元は満配である。
作田荘一『滿洲建國の原理及び本義』(建國大學研究院現代學教本 第2篇)康徳11年4月
作田は康徳6(1939)年の創設から康徳9年まで建国大学副総長兼研究院長を務めた。
淺利豊治郎著作『五彩満洲』康徳11年12月
著作人は満州帝国文教部教学司編審部、代表者寺田喜治郎。赤羽末吉が北村謙次郎文「搬不倒と虎とクウニャン」「白い船」に挿絵を、逸見猶吉の文に関合正明が、北村謙次郎の文に白崎海紀が、古川賢一郎の文に甲斐巳八郎が、坂井艶司の文に斎藤英一が挿絵を描いている。
松尾茂作 ; 劉揖唐訳『満洲月暦』康徳11年12月
著作者発行者は満洲冨山房の支社長淺利豊治郎。表紙は関合正明、挿絵を赤羽末吉や城島英一また関合正明も描いている。
中山久四郎『満洲大豆考』康徳12年3月
序言に、「本書の出版については、満洲冨山房の淺利豊治郎氏の好意による所が多い」と謝辞が記される。発行者は坂本守正、配給元は満配である。
2025年10月8日
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