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35 金丸精哉ー『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち

35 金丸精哉
金丸精哉は『月刊満洲』昭和9年3月号に「大島氏と爆破行秘史」、昭和12年1月号に「満洲日本移民の展望」、また康徳11(昭和19)年6月の城島舟禮追悼特集に「佛心」を書いている。
明治37年、鹿児島県の出身。小学校から満洲で育つ。大連一中から熊本医科大学に進んだが学業半ばで満洲にもどった(『満洲国文化細目』の金丸精哉『満蒙の地より母国の友へ送るの書』)。「大正初年に大連の小学校・中学校でともに学んだ(中略)文字通り第二世」という(「序文」『満洲雑暦』満州日日新聞社出版部 昭和14年)。俳人で満鉄弘報課に勤務し、『満洲グラフ』の編輯も手掛けた。この『満洲グラフ』は、『満洲短歌』を創刊した八木沼丈夫が写真家淵上白楊を招聘して編輯にあたらせた満鉄刊行の宣伝雑誌で昭和8年の創刊(「金丸精哉」『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、小泉京美「満洲郷土化運動と金丸精哉〈満洲歳時記〉の錯時性」(『フェンスレス : 占領開拓期文化研究会機関誌』2号 2014年)がある)。
先の『満洲雑暦』の序文は大連図書館館長の柿沼が書いているが、金丸も満鉄各図書館報『書香』の昭和11年10月号に「へうせつ」を書いており、二人に交友があったことが見て取れる。なお本書の装釘は甲斐巳八郎である。著作はほかに『満洲風雲録』( 六人社 昭和16年)、『満洲歳時記』(博文館 昭和18年)などがある。