ブログ・エッセイ


夏目漱石、鏡子夫人、和辻哲郎、岡田式静座法

京田辺駅に出る用事があり、電動自転車で出かけた。用事を済ませて中央図書館にも寄ってみた。日本作家の評伝も含まれる分類番号の 910.2 の箇所を見ていたら、作家の家族が書いたものも幾つかあって、文庫になっている夏目鏡子述 松岡譲筆録『漱石の思い出』(文春文庫 1994年)があり、それを借りてきておもしろく読んだ。
文中に、鏡子夫人が大正元年ごろから岡田式静坐法をはじめたことが述べられてあった。鏡子夫人は、自分には具合もよくて性に合っていると述べている。そして岡田虎二郎も夏目さんのような人にはきっと効くと言っていたようである。同じ趣旨のことが橋本五作『岡田式静坐の力 第五版』(松邑三松堂 大正六年)にも書かれてあって、漱石は友人から岡田式静坐法をすれば神経衰弱が治るからと勧められたのだが、「神経衰弱は自分の資本だから」とそれを断ったとある。ちなみに、詩人・口童話家で当時イタリアの東洋学院の教授であった下位春吉も「文学的情調の枯渇を恐れて」静坐を避けたとも述べられる。
いずれにしても漱石自身は、このように静坐法などする気はないが、人のやることには干渉しないたちなので、鏡子夫人がいいと思ってやっていることに対しては自由にそして放任していたとのこと、興味深く読むことができた。
鏡子夫人『漱石の思い出』には、漱石最後の病床時、和辻哲郎が見舞いにたずねて来て、気合術の施術を勧められたとも出る。和辻夫人の父親がガンで苦しんでいた時に勧められて気合術の施術を受けたところ、和辻は半信半疑に思っていたが父親は食事もとれるまでによくなったのだという。小康が得られるなら騙されたと思って試してみたら如何か、と鏡子夫人にしきりとすすめたという。鏡子夫人は、「さすが迷信家の私自身どうしても承服できず」それは丁重に断ったと述べている。
鏡子夫人は時に占いなどもしてもらったりしていたようだから、自分のことを「迷信家の私自身」と言っているのであろう。岡田式の静坐法に興味を持ったりするのも、ちょっと鏡子夫人のいう「迷信家」という言と少しは関連しているのかもしれないなと、自分に照らし合わせてみて、興味を惹かれた。 2023年10月21日 記

わたしとてインターネットの検索はそこそこできるつもりだが、やはり歳をとってから身に着けた技術であると見えて手抜かりである。まあ才がないのかもしれない。
この夏目鏡子の静坐法についてはすでに「神保町系オタオタ日記」2020年3月30日の、「『定本漱石全集』20巻(岩波書店)注解への若干の補足ーー漱石夫人夏目鏡子と岡田式静坐法ーー」という記述があった。
そのなかに鏡子夫人の静坐法について、『定本漱石全集』20巻 の、「鏡子夫人の場合、神道系の精神修養に通っていたと思われる」という補注に対して「神保町系オタオタ日記」氏は、これは「東京高等師範学校教授の峯岸米造邸」での静坐会のまちがいであろうと述べてある。
さらに「神保町系オタオタ日記」の2021年9月21日の条「夏目漱石夫人鏡子が通った峰岸米造邸における静坐会のその後」をみてみると、峰岸と岡田式静坐法との出会いは、喘息持ちの峰岸夫人が先であったと言い、夫人のその喘息が治ったことから峰岸も坐りはじめ、今では70人ほどもの参会者がいて、ここに鏡子夫人も参加していたと論じてい。
なるほど、そういうことだったのか。さすがは根っからの蒐集家、教えられることばかりだ。 2023年10月30日 追記