ブログ・エッセイ


料理、あと片付け、及第点、60点、家庭菜園、野菜、副菜

学校勤めを定年となって10年経過した。書かねば終われないと思っていた『一番丸船長 一庭啓二の生涯』も一昨年12月に無事出版できた。やれやれ一安心である。めったにないのだが、頼まれたりする仕事があった場合でも、しんどそうなものやストレスの掛かりそうなものはお断りして、これなら無理せずできると思うものだけを年にひとつぐらい引き受けてやっている。まことにゆるゆるした生活だ。
日課になっている家庭菜園は、今の畑を今年度いっぱいで撤退する予定だが、それでも白菜も大根は小さいながらも食べられる域にまで成長してきた。秋に収穫したヤーコンやピーナツカボチャ、さつまいもやサトイモなどもうまく保存ができている。晴天が続いた時期に収穫し、またよく乾かしたおかげだろう
これら畑の野菜料理というか、野菜処理というか、それはおおむねわたしがやる。朝早くに目が覚めて、簡易体操ヨガを30分ほどかけてやった後、これらの野菜を使って副菜を作る。今朝は、手間のかかる仕事だが、里芋の親芋の皮をむいて、電子レンジにかけて、薄力粉にみりんや醤油で味を付け冷蔵庫に寝かせてある。これにパン粉を付けて焼くかそのまま焼くかして夜の「お通し」をつくる。柿と大根のなますや、ヤーコン・人参炒めも作り置きしてあるから、これでお酒も飲める。それはともかく、今回は後片付けの話だ。
わたしは、こうして料理をし、使ったフライパンや鍋などの後片付けも自分の任務としてしている。しているというか、一応のところしているつもりである。だが、わが奥方はこのわたしの片づけがどうも気に入らない模様である。さいごまできっちりできていないと言うのだ。
わたしはといえば、最低限の片づけはできていると思っている。確かに100点、90点ではない。80点の「優」もないかもしれない。だが70点はある、いや少なくとも単位の取れる範囲の65点ぐらいはあるはずだ。これがわたしの感想であり評価である。確かにわたしは、わたしの性格からして、どんなに頑張っても90点は取れないだろう。だが頑張れば80点までには手が届くと思っている。
ではなぜ80点の片づけを目指さないのか。それは、そうする必要がないと考えているからである。確かに、調理でお腹を壊したり、生ごみが腐って悪臭を放ったりすれば、それは落第、59点以下ではある。だがわたしは、ここでは単位が取れればそれでいいじゃないか、60点あれば、それでいいのではないかと思っているのである。ここには幾分かの負け惜しみも交じっているかもしれない。だが、及第点だけ取って、あとは、読書とか資料整理とか、自分の仕事に掛かった方がよいのではないかと考えているのだ。
そんな中途半端な片付けなどできないという人もいるだろう。それはそれでいいと思う。だがわたしは、ここは単位が取れればそれでいいじゃないかと心から思っている人なのである。 (2023年1月14日記)