ブログ・エッセイ


満洲国、国策会社、木山捷平、『大陸の細道』、図書室、図書整理

講談社文芸文庫版の木山捷平『大陸の細道』を読んだ。木山捷平は昭和19(1944)年12月に渡満して新京の満洲農地開発公社弘報科嘱託となっている。この本は、木川正介を主人公とし、渡満後の新京などでの生活を縷々述べたものだ。
木山は戦後に新京(長春)で約1年間残留となった。それは「百年を生きたほどの苦しみ」であった。その様子は『長春五馬路』に綴られている。木山は、この戦前期の公社での勤めや戦後の苦しみの日々について、苦悩を表に出すような筆致ではなく、淡々と、というか、ひょうひょうと描き進めている。新京での苦悩を、胸底に堅い結び目で包(くる)み、それらをいったん昇華させた言葉をもって書きつないでいる。このようにして書かれたこの二つの本に、わたしは感動もするし、強く共感する。
それでも木山は、「望郷」と題された歌に、
「ひんがしの島根の中つ吉備つ国 黍生ふる里を誰が忘れめや」
と、激情を隠し切れないでいたのだった。
ここではそのことはひとまず措いて、この本のなかで二か所ほど、図書の整理や図書室の話題が出てくるので、このことを忘れないうちに書いておきたいと思う。一か所目は文芸文庫本の42頁、木山(作中では木川)が新京に到着して歓迎会をすませた翌日の朝のことだ。新京で出迎えてくれた千馬が体調を崩したというので、そのかわりに宿に迎えに来た金という公社員との会話のなかで出てくる。
「君は文学でも好きそうな顔をしているが、どんな作家が好きかね」
「ショーロホフなんか好きです」
「ほう、あのロシヤの。日本ではどんな人かね」
「日本では島木健作が好きです」
「ふん、なるほど。それで君は公社では、いま、どういう仕事をやっているの」
「図書の方です。図書の貸出しと整理です」
「じゃ、ラクだね」
「ちがいます。倉庫にはまだ本がうんと突っ込んだままになっているんです。それに、三島課長が今度また東京からうんと買い込んで来るそうで、これでとても忙しいんです」
「なるほど。それで昨日、君の隣に座っていた女の子と二人でやっているのかね」
「違います。あれは資材課の女が、本を借りに来ていたんです」
この文章から、木山が仕事に就いた公社には図書室があり、それは金ひとりの仕事であろうか、図書を整理して貸し出しも行っていたということが見てとれる。もちろん木山のこの本は小説に仕立てられており、出版は戦後の昭和37年7月のことであったから、この図書室はフィクションであるかもしれない。ただ当時の満洲国では、国策会社や大手の会社も「社報」などを出していて、そこには文芸作品も多く掲載されていた。そして社員向けの娯楽・教養のための図書室も持っていた。
文芸欄ということでいえば、たとえば満洲行政学会の機関誌である『満洲行政』、この固い名前の雑誌も文芸欄は充実しており、新井練三常務取締役や大坂巌編集長が在満作家に呼びかけて文芸欄を充実させ、長谷川濬や北村謙次郎、横田文子らもここに寄稿している。また逸見猶吉が入社した満洲生活必需品配給株式会社、これはのちに満洲生活必需品株式会社と名前を変えるが、ここも『物資と配給』という雑誌を刊行していて、壇一雄を同社に就職斡旋をしたりしている。食客といったところであろう。
木山が職を得たこの満洲農地開発公社での木山の配属先は弘報科であった。このことからも、この公社は社外へのPRにも力を入れていたこと、そして木山の文才を買っての迎え入れでもあったことも理解できる。公社の社業としての資料や、社員の福利厚生面での図書室が社内にあったということも十分にうなずけるところだ。それが先の会話の中にもでてきているのだ。「三島課長が今度また東京からうんと買い込んで来る」と書いている内容である。この「本」は、おそらく社業の参考図書であり、また娯楽用の文学書などもあったろう。それらが公社内の図書室で整理され活用されていたというわけだ。
こうした図書室の存在は、日本の満洲経営の初発であった満鉄のその図書館が、社業のための資料を購入し、あわせて沿線住民に対しても公開の図書館でもあったという、その先例を継承していると考えてよい。
木山は、金が図書室の仕事をしていると聞いて、「じゃ、ラクだね」と言っている。この図書室の仕事への評価は、植民地満洲や満洲国、また内地であっても、ほぼ共通の認識であったことと思われる。このように、図書館や図書室が、社会にとって、また会社内にあっても、第一線の任務ではなく、第二線・第三線的なものであるという認識は、それなりに頷けるところである。
ここでわたしは、このように、図書館や図書室が、会社や社会にとって二線的な存在と評されているその評価に対して、なにか物申したい、と考えているわけではない。逆に、そのように語っている木山のスタンスに、つよく共鳴するのだ。その一歩引いた位置に立つということに何か強く共振する、そんな響きを感じるのである。
このような図書館への評価をよく認識したうえで、情況を二重屈折させてそれを「蔵書」に反映させるというスタンス、それが逆転にも繋がるという可能性については以前にすこし言及したことがある(「満洲国立奉天図書館の歴史」『遺された蔵書』など)。
この情況の反映と逆転のスタンスというのは、わたし自身の年来のテーマである。それが木山のスタンスとどこかで共鳴するのである。これについてはもう少し考え詰めて、あらためて書いてみたいと考えている。
( 2018年1月31日 記)