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NEW!! 北方圏学会の役員たち 10千種達夫

北方圏学会の役員たち 10千種達夫
明治34(1901)年兵庫県和田山町の生まれ。大正15(1926)年早稲田大学法学部英法科を卒業、大学院に進み助手。高等試験行政科・司法科に合格し、東京地方裁判所予備判事、長野地方裁判所松本支部判事、横浜地方裁判所判事、東京地方裁判所判事などを歴任。口語体判決文を書き始める。康徳5(1938)年9月判事を退官し渡満、司法部参事官に就き家族制度慣習調査に従事した。康徳9(1942)年3月最高検察庁検察官兼司法部参事官。満洲国親属継承法(親族相続法)の立法に関わった。法律は康徳12(1945)年7月に公布されている。なお1964年刊行の『満洲家族制度の慣習』(一粒社)の前野茂「序」には、 満洲国で親族相続に関する法規を整備するにあたり、家族制度の慣習調査と法律作成草案の作成に当たらせるため「昭和13年その専任参事官として当時東京地方裁判所判事であった千種達夫君が招聘された」と述べている。なお本書は康徳11(1944)年に満洲国司法部の名前で刊行された『満洲家族制度慣習調査 第1巻 (哈爾浜及延吉地方)』(有斐閣)をもとに戦後再刊されたものである。千種は日本画にも秀で満洲国美術展覧会にも入選している。早稲田大学図書館に千種達夫文書がある (『満洲紳士録』、千種達夫先生略歴『判例時報』1982年12月、千種達夫「故井野英一先生と満洲時代の思い出」『判例時報』1969年5月、 「早稲田大学東アジア法研究所ホームページ(2025年9月20日閲覧)。