ブログ・エッセイ
『月刊撫順』『月刊満洲』執筆者たち 43 今井一郎
43 今井一郎
今井一郎は『月刊満洲』康徳8年12月号に「漫画 おらが科長」、康德9年1月号に「俺が科長」、康德9年2月号には、池邊青李・佐久間晃・阪本牙城とともに漫画を寄稿している。また同じ号の「大陸讀物」の欄の宮本里久二作の 小説「氷雨」の挿絵を描いている。康德9年3月号には阪本牙城「〔繪と文〕大興安嶺の蒙古人」とともに「〔漫畫〕英罪惡史の埋葬」を描いている。以降も数多く寄稿している。
今井は大新京日報(1938年10月「満洲新聞」と改題)の文化部長を務めた。この時期学芸欄に小説欄を設け、北村謙次郎をはじめ冬木羊二・長谷川濬らに執筆させた。北村は今井宗久の挿絵で「鶴」を掲載したという。ともかく書くこと、書いた奴が最後に勝つ、というのが口癖だった(北村謙次郎「二章 新京の宿―「大新京日報」―今井一郎―新聞小説『北辺慕情記 : 長篇随筆』大学書房 1960年)。今井は『芸文』の編集にも関わり、満洲美術家協会事務局長も務めた。1938年10月に創刊の『満洲浪曼』にも同人として名を連ねている。『絵と文 おもいでの満洲』(恵雅堂出版)所収「大連のおもいで」のなかで富山衛は、大連連鎖街のバー「バコダ」には今井の娘々祭の絵が飾ってあったと回想している。2024年8月20日記