ブログ・エッセイ


家庭菜園、菜花、つぼみ、食卓

家庭菜園として借りている畑に行くのに、約20分ほど歩く。ウオーキングというわけではないが、歩いて行くので、まず運動のうちかと思って、楽な電動自転車ではなく歩いて行くことにしている。
この季節、我が菜園の途上にある畑では、菜の花が満開である。それは菜花を栽培してそのつぼみを食用として出荷するプロの農家の畑である。そうした畑では、初めについたつぼみが大きいからそれを収穫、時には二番、三番の大きなつぼみも収穫するかもしれない。そうした出荷用の収穫が済んだらあとは放っておくから、菜の花が満開になるという次第である。
ひるがえってわたしの畑は如何であろうか。黄色い花が咲いてはいるがちらほらである。なぜか。
まずは言うまでもなく栽培が下手だからである。自慢するわけではないが、また居直るわけもないのだが、上手ではないのである。
そしてもう一つ、それは、つぼみを付けた菜花は、小さくてもこまめに摘み取って食べているからである。こんなに小さいつぼみまでも食べるのかと、自分でも驚くぐらいだ。
今の季節、畑では収穫物が少ない。冬野菜の大根は、あらかた収穫してしまった。そのうち少し大きいものは沢庵にした。白菜も早生を作っているが、出来たものは巻いているものから順次食べていった。今は、巻かなかい白菜の頭をひもでくくり、軟化させたものを食べている。これもそろそろ終わってきた。5つほどできたキャベツも食べた。なにせ収穫物が小さいものだから、すぐに食べきってしまう。
ほかにも冬野菜はあることはある。大阪白菜・コカブ・ほうれん草など。だがこれもいかんせん、小さい。スーパーなどで売っているものの三分の一ほどの大きさだ。
そういうわけで菜の花もわが菜園では動員される「戦力」なのだ。この菜花、いくらつぼみが小さいとはいえ、摘んで集めて湯がけば、おかずの一品になる。
小さなつぼみを摘んでいると、もうこれぐらいで勘弁してやって、花を咲かせてやったらどうだと、そんな声も聞こえてくる。そうした声には耳も可さず、晩飯の一品にするのだ、と思って心を鬼にして摘んでいる。
こんな畑で芽を出したばっかりにと、わが菜園の菜花は思っているに違いない。菜花殿、まことに相済まない。もうしばらく我が家の夕餉の食卓に登場くださいますように。 2023年3月5日 記