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NEW!! 42 阪本牙城- 『月刊撫順』『月刊満洲』の執筆者たち
42 阪本牙城
阪本牙城は『月刊満洲』康徳9年4月号に「國境線點描」、康徳9年6月号に「滿洲風物誌(撫順炭礦の卷)」などを描いている。
阪本牙城は『タンク・タンクロー』でも有名な漫画家である。明治28年東京都あきる野市の生まれ。本名は坂本雅城(まさき)。『タンク・タンクロー』はロボットマンガで講談社の『幼年倶楽部』に連載して人気を博した。昭和14年に渡満、満洲開拓総局の広報担当嘱託。満洲の開拓事業に力を注ぎ満洲各地の満蒙青少年義勇軍訓練所を訪ねて義勇隊の少年たちに漫画の描き方を教えた。阪本は田河水泡とともに、国策であった満蒙開拓少年義勇軍の推進に「動員」された漫画家であった(大塚英志「満蒙開拓青少年義勇軍と田河水泡・阪本牙城のまんが教室」『大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作』集英社新書 2022年)。この時期の阪本の著作のうち『滿洲建設勤勞奉仕隊漫画現地報告』(開拓文庫第2輯 大陸建設社 昭和14年)は、学生・青年が渡満し満洲の開拓村で農耕・家屋建設などの勤労奉仕を行なったその奉仕隊に阪本も同行してそれを漫画にして発表したものである。『開拓三代記』(満洲事情案内所 昭和15年)は満洲移民事業遂行のため策定した「満洲開拓政策基本要綱」をわかりやすく「絵とき」にすることを思いついたという。ほかに『鍬の兵隊』月刊満洲社 1943年がある。また阪本牙城編『義勇隊漫画部隊』(大陸建設社 1943年)には阪本が指導した義勇兵の作品が250編も収載されているという(前掲大塚英志「満蒙開拓青少年義勇軍と田河水泡・阪本牙城のまんが教室」あ9。なお『≪満洲国≫文化細目』の『義勇隊漫画部隊』は1942年12月10日 大陸開拓社 と出)。
ソ連軍の南下を知り開拓総局職員の家族らと帰国の途に就いたが北朝鮮で終戦を迎える。苦労の末昭和21年9月に引き揚げた。その後は、昭和24年7月号の『農民クラブ』(日本基督教團農村傳道特別委員會刊)に「本誌記者」との肩書で「読者川柳 選と絵」、「湖畔の情熱 種まく人 新しい意気に燃ゆる農村」などを描いたが、雅城と名乗り 水墨画家として活動した。昭和48年8月8日死去。 2024年7月19日 記
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