ブログ・エッセイ


NEW!! 玉置浩二、「ある意味、うまいね」、ワインレッド、図書館の主体性、大阪府立中之島図書館、紀要

この間、NHKで「玉置浩二ショー」というのをやるというので、それを録画して観た。テレビが音源でも、ステレオに接続しているから、ステレオ装置で聴ける。ちなみに、NHKの「クラシック倶楽部」や「クラシック音楽館」なども録画しておけば、このステレオ装置で好きな時に聴けるから楽しい。
この番組では、「安全地帯」のメンバーが集まって、あれこれと回想する場面が映し出された。そして、かれらが若かりし頃、紅白に出場した時代の映像も流された。曲は「ワインレッドの心」だったが、玉置浩二の、あの頃の、何というか、気張ったというか、格好をつけているというか、ひたすら感というか、真剣そうなというか、そんな歌いっぷりに、玉置が思わずひと言、「ある意味、うまいね」といった。この玉置の若い頃の自分を素直に肯定する言葉に、心から納得した。
安全地帯というのは、旭川の中学時代の友人たちと結成したグループなのだそうだが、紅白の番組のグループ名の画面に、「旭川出身」と書かれてあって、「相撲部屋じゃあるまいし」と言っていたのも、面白かった。
番組では、そのあとも安全地帯のメンバーで、気ままにセッションして数曲歌った。こちらの方は現在のかれらで、よくこなれた歌いっぷりで、円熟味もあり、リラックスして楽しく聴ける。これはもちろん、問題なくうまい。ある意味うまい、のではなく、間違いなくうまい、のだ。
ところで、自分の論述と比較して言うのもおこがましくまた気が引けるが、わたしが図書館にはいって初めて文章を公表したのは、「図書館の主体性とは」というものだった。図書館に入って3年目、「大阪府立中之島図書館紀要」12号(昭和51年)に掲載された短い文章だ。
当時、公共図書館では、貸し出し中心主義、時に貸し出し至上主義とでもいうべき潮流があり、わたしの文章は、そうした公共図書館の行き方を批判したものだった。図書館が受け持っている資料収集という性格に注目し、図書館が持つべき主体性を論じたものだった。
わたしが図書館にはいってすぐに配属されたのは整理課集書係だったが、その整理課長が、その当時の図書館紀要の編集責任者だった。先に出てきた、鮎太だ。昼休み、その課長に、紀要に投稿したいのですが、といって原稿を提出した。課長はすぐに目を通して、少し考え、よし掲載しようと言ってくれた。
少しあとで分かったことだが、この「よし掲載しよう」という言葉の意味は、当時「貸し出し中心主義」を掲げて運動していたある研究会をおもんばかったうえでの決断の発語であったようだった。
府立図書館のなかでも、この研究会に入って熱心に運動している職員も多かった。図書館の研究紀要という性格からみて、掲載できるかどうかを課長は原稿に目を通しながら考えたのであろう。紀要に掲載されたあと、なんでもこの研究会に属している府立図書館の同僚職員が、その研究会が発行している雑誌に、反論を出すようにと要請したとかしないとか、そんなうわさも聞いた。自分で反論を書けばいいのに、いかにもなあ、というやり方だ。
いずれにしてもこの課長の決断で「図書館の主体性とは」の原稿は、紀要に掲載してもらうことができた。この掲載は、まことにありがたかった。これに意を強くして、図書館の性格などをあれこれと考えて、「書誌的世界観をめぐって」などといった、硬骨な文章も書いたりした。硬骨だったが、この時代に考えて培った考えは、いまでもわたしの考えの底流にあると考えているし、その後に、図書館の蔵書をめぐってあれこれと思いを巡らせて書いてきた文章の核にもなっていると思う。
そういうわけで、安全地帯が若い頃に歌った「ワインレッド」の映像をみて、玉置が、「ある意味、うまいね」と言ったのに触発されて、僭越ながら、わたし自身の、「ある意味、***」と言えるかもしれない文章を思い出したというわけだった。
アイドルだった歌手らが、若い頃の映像を映し出されて、「ああ恥ずかしい」と言っている場面によく出くわしたりするが、この玉置の、「ある意味、うまいね」という、さりげないが強い肯定の言葉は、結構心に残るつぶやきだった。 2020年7月20日 記