ブログ・エッセイ
NEW!! 早朝家庭菜園、カボチャの畝づくり、一休み、無印良品リュック、ワークマン作業着、バジルソース、
本日も5時過ぎに目が覚めた。ルーティンの「早朝家庭菜園」に向かうには程よい時間だ。今日は土曜日なのでFMで奥田佳道解説の「音楽の泉」をやっている。これを聴きながら畑に向かおう。というわけで、スマホから胸ポケットのススピーカー経由で聴きながら畑に出かけた。奥田の解説は聴いていて邪魔にならないからよい。同じクラシックの番組でも、なんだかつまらない感想を言ったうえで、「…でしたね」と意見を押し付けるような解説もある中で、この「音楽の泉」は穏やかでよい。
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最近では畑でやる仕事を毎日メモすることにしている。本日の任務は、「ピーナツカボチャ用の畝を整えること」、「そこに支柱を立ててネット張り」、立体的栽培にトライすることだ。それから「サトイモに肥料をやること」「土寄せをして畝を高くすること」、さらには「モロヘイヤや空心菜の畝の草取り」などなどだ。メモを作ってもそれを忘れることが多いのだが、本日は忘れず畑に持参。
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畑では、友人にもらった白いスティールの机と二脚の椅子を置いていて便利に使っている。歳を取かった最近では、「疲れた、ちょっと一休み」「疲れた、もう一度休憩」と、この老人菜園家はすぐに座りたがる。
紙に書いていった予定をみて、まずはピーナツカボチャ用の畝づくりだ。書くのは1行で簡単極まりないのだが、今日の作業箇所は草が繁茂していて大変だ。草抜きに骨が折れる。さぼってきたツケがきた。
予定の畝は2メートルぐらいなのだがしんどい。大きなスコップで雑草を起して、そのあと移植ゴテで掘りながら草抜きするのだが、近ごろ、引っ張る腕の力も衰えてきた。
「もうほどほどにしておこう。やめようよ」と、菜園家の体に巣くっている「弱虫」がささやく。「そうだな、今日できることは、明日でもできる」という名言もあるし、やめよう、やめよう。菜園家の養っている弱虫は「強い発言権」を持っているのだ」。「そうだ。今日途中でやめても、明日の作業表に、「ピーナツカボチャ用の畝の草抜き(続き)」と書けば、それで済むことではないか」。かくて「休んでばかりの菜園家」は、「すぐに座られて休む暇のない」白い椅子でのんびりと休むのである。やれやれ。
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本日の畑仕事の予定表に書かなかったが、バジルの葉っぱがトウ立ちしてきた。早く収穫してバジルソースをつくらねばならない。そこで本日は、トウ立ちしつつあるバジルを全部、茎の途中で切って収穫することにした。もしもバジルソース作りがうまくいかなかったとしても、バジルはまた葉を出してくれるであろう。
リュックから大きなポリ袋を取り出して、切ったバジルを入れ込む。畑で葉っぱだけにしたら荷物も小さくなって良いのだが、以前そうしたところ、葉っぱが黒くなってだいぶ捨てた覚えがある。本日は茎ごとの収穫だ。
さて帰宅とばかりに、無印良品で3980円を奮発して買ったリュックに入れてみたが、どうも量が多すぎて入らない。仕方がないから、リュックをしょって、バジルの大袋を手に持って、畑歩き用の二本のノルディックウオークのストックを突き突き家路に向かう。しかしながら、二本のストックとバジル袋、どちらが邪魔をしているのか知れないが、うまく歩けない。やむなく、バジルのポリ袋の入り口をきゅっと結んで、その結び目に麻ひもを通し、大きなバジルポリ袋をリュックに結び付けた。
なんとか両手が空いてストックが突ける。そして、無印良品のリュックに寄生している風情のバジルポリ袋が背中で大きく揺れる。まずこれでストックを突き突き音楽を聴きながら歩いて家に帰ろう。格好は決して良くはないが、まあ後期高齢者だ。人に大きな迷惑をかけているわけじゃないから許してもらおう。
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今回はバジル大袋を背中のリュックに結わえてストックを突いて歩いたわけだが、いつもは、バジルポリ袋はない。長靴または運動靴に、ワークマンの上下作業着、帽子をかぶって、無印のリュックにノルディックウオークのストックだ。胸のポケットからは、NHKFM「聴き逃し」のジャズやバロック音楽が流れている。わたしとしては、いたく穏当な恰好だと思ってはいるのだが…。
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実は、早朝畑に行くと、わたしの帰宅時間が、ちょうど中学校の登校時間に重なるのである。わたしの帰宅経路が孫の登校経路であるのだ。そして時として、中学2年の男の孫と出くわすこともある。孫は友だちと楽しそうに歩いている。いつもは、「やあ、じいちゃん」とあいさつをしてくれるのに、先日は、下を向いて目を合わさないように通り過ぎようとするではないか。家庭菜園家のじいちゃんは、やっぱりきたなく異様なのかな。音楽もなっているし、ストックで歩いている。その時はわたしの顔を知っている友だちが、「お前のおじいさんじゃないのか?」と言ったと見えて、通り過ぎてしばらくして振り返り、手を振ってくれた。
なんといえばいいか。気を使うというか、気まずいというか。ともあれ、歳を取ってしまったのだな、と実感したことである。 2026年7月11日 記
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