ブログ・エッセイ


MEW!! 高田泰治、大阪倶楽部、ジパング、加古川線、厄神、西脇市駅、谷川、柏原、案内パンフレット

一昨日の5月27日は、大阪倶楽部で高田泰治のチェンバロ演奏会だった。曲目はバッハの平均律第二巻、いつもながら清冽な音色で、それでいながら一本芯が通っていて心地よい演奏会だった。時に力強く出てくる音に思わずハッとさせられたりもする。楽しい夕べであった。
この演奏会の開始が18時30分だったので、毎回のことではないのだが、そんな日は早朝から列車に乗って列車旅を楽しむことにしている。沿線の1,2か所の散策を楽しんだあと、演奏会に間に合う時間に会場のある北新地へと到達して途中下車をするのである。そして、演奏会が終わった後、その切符を使って帰宅するというわけだ。いわば一石三鳥のやりかたである。
わたしはジパングの会員になっているのだが、昨今の状況では宿泊をともなう旅行には出にくい。そんなことからいきおい日帰りの旅程となる。そこで、なんとかこのジパング3割引きで購入できる切符も有効に活用できないかと考えて思い付いた方法だった。
ジパングは往復切符で200キロ以上が割引の対象になる。ただしそれが、「大阪近郊切符」の範囲内にあると途中下車ができない。これは別にJRが意地悪をしているわけではなく、その区域内で同じ駅を通らなければ、どのようなルートで出かけても最短区間の料金で計算してくれるという親切な制度だ。これを利用して、鉄道好きは大廻りと称して、一日の列車旅を楽しむ。わたしの息子も小学校のころから、休日になると、隣の駅までの切符で、一日中列車を乗り回していた。駅では降りられないが、駅で押せる記念スタンプも同時に集めていて、それはかなりの数にのぼっていた模様だ。
今回のわたしの旅程は、加古川線に乗ることだ。加古川線の西脇市から先が赤字路線で廃止の検討区間になっている。加古川線には、以前に北条鉄道に乗ることを目的として、北条の羅漢さんを詣でに行ったときに乗った。その時は乗換駅の粟生(あお)駅までだった。今回はその先の谷川駅まで行ってみようと思ったのである。ただ、加古川線終点の谷川駅は「大阪近郊区間」内にあるので、谷川までの切符であると途中下車が出来ず、帰りの音楽会のために北新地駅で途中下車ができない。仕方ないのでひとつ先の駅の柏原(かいばら)までの切符を買うことにした。
学研都市線で尼崎まで行き、山陽本線に乗り換える。山陽線も西明石までは複々線だ。普通・快速・新快速と本数は多く、おまけに特急列車・貨物列車まで走っている。加古川駅までは新快速で一気だ。
加古川で乗り換える。乗った列車は厄神止まりだったので、ここで降りて次の列車を待つことになった。例によって待ち時間に駅の周辺を歩いてみる。駅を降りるとその町の様子を肌で感じることができるから、つぎの予定の列車までに少し時間があるとそのようにしている。これも列車旅の楽しみの一つだし、だからどんなに待ち時間があっても苦にならない。
柳田國男(やなぎた くにお)は、民族調査で全国を回っていることから、地理や史跡にはすこぶる詳しく、初対面の人に出身地を聞いては、ああその町ならどこどこの神社に大きなクスノキがありましたね、とか話をしたという。それが柳田の「記憶」という抽き出しの、いわば索引語というわけだ。わたしは柳田國男とは千里の径庭、万里の隔たりがあるが、それでも駅で降りて30分ほども歩くと、その町の印象を記憶にとどめることができる。不思議とこうした記憶は歳を重ねても、あまり薄れることはない。
厄神の駅で降りて念のために駅の時刻表で次の列車を確認してみた。次は西脇市行きである。ところが、その時刻表には、西脇市駅から谷川駅まで行くための接続の表示もなければ、連絡列車の記載もないではないか。谷川までの直通列車が一日一列車あるようで、それには谷川行と書いてある。これではまるで、加古川線では、加古川から谷川まで到達するには、この一本だけと言ってるみたいではないか。事前に時刻表で確認してきたのにと少し不安になる。
これはどう考えても、JR西の時刻表表示の不備であると思う。厄神駅から西脇市行きの列車に乗れば、西脇市始発の谷川行に連絡していますよ、そのようにして谷川駅から福知山線にも乗り継げます、という表示がぜひとも欲しい。欲しいというよりも、それは必須であろう。
西脇から先の加古川線の廃止も取りざたされるなか、やはり、連絡の列車があること、そして福知山線ともつながっているということ、こうした利便性も駅の時刻表示には示すべきであろう。わたしのような利用客は、決して多くはないが、かならずいるはずである。しかも加古川線は、谷川駅で終点行き止まりではなく、その先の福知山線へとつながっているのだ。これは大きなメリットであろうと列車好きのわたしなどは、強くそう思う。
そんなこんなを考えながら、ともあれ谷川で乗り換えて、柏原(かいばら)の駅までたどり着いた。柏原で少し歴史史跡を歩こうかとも思ったが、ちょっと時間が足らなさそうなので、今回はここで引き返すことにした。復路の列車まで40分ほどある。朝が早かったからお腹が空いた。食堂はないかと思ったら、駅舎に立派な食堂がある。山の駅レストランという名前だ。ここで黒豆コロッケの定食を食べて腹ごしらえも万全となった。
駅に戻って、次回に来るときのために、駅周辺の町歩きのための地図がないかと、駅のパンフレット棚を見てみたが見当たらない。駅員さんに尋ねてみると、ありますよと言って、事務室に戻り、しばらくして数点を渡してくれた。見てみるとなかなかの立派なパンフレットがあるではないか。
一つは鉄道やバスの時刻が書かれてある「てくてくたんば(2022年3月発行)」(丹波市地域公共交通活性化協議会)というもので、なかなかの労作パンフだ。丹波市内の地図も載っていて、鉄道だけでなく、市内でコミュニティバスの役割を果たしている神姫バス(神姫グリーンバス)や高速バスの時刻表までも載っている。これは住民用のパンフレットであろうが、わたしのように、駅で降りて史跡めぐりを楽しむ者にも便利である。目的の史蹟が少し遠くても、ちょっとバスに乗ってあとは歩いて出向くこともできる。そんな場合に、コミュニティバスの時刻表が載っているとたいへんに助かる。これはよくできた広報パンフレットだと感心した。
もう一枚は、「かいばら おさんぽマップ」というものだ。駅からの散策コースが三つ紹介されていて、わたしなどにはもってこいのマップだ。だがこれらの地図は駅頭には置いていなかった。「てくてくたんば」の方は主として住民用で、印刷代もかかっていそうなものだから、駅に置いて旅行者に無駄に持っていかれたら困るということなのかもしれない。だとしても、もう一つの「おさんぽマップ」などは、置いてくれたら、わたしたち旅行者には便利なのだが。ほかに「まごころ 花めぐり」というのも楽しそうだ。
わたしの場合、駅に観光案内所があればそこでいつももらうことにしているのだが、小さな駅の場合は、必ずしも駅に観光案内所があるとはかぎらない。閉鎖している場合もある。そんなとき、こうしたパンフレットを駅に置いておいてくれたら、列車に乗るまでの2、3時間ほどの間に、その一部でも回れる地図はいいガイドになってありがたいのだがなと思う。
そしてもう一つ言いたいことがある。これはJRに対してだ。以前の駅では、駅表示の横に、必ずと言ってよいほど、「駅付近の名所案内」というのがあった。これを復活してもらいたいと思う。今も設置している駅はあるにはあるのだが、ずいぶん少なくなった。名所というほどではないと思っているのかもしれない。しかしながら、柳田國男ではないが、どんなに小さなお社(やしろ)でも、来歴はあり、語るべき由緒はある。そしてそれだけでも、行ってみるだけの価値はある。すくなくともわたしはそのように考えている部類の人間だ。
さらに各市町村の観光案内所や観光課、文化財保護課の諸氏に対してお願いをしておきたい。なんとか叡智を絞って、こうした「駅からマップ」を作成していただきたいものだと思う。立派な印刷物でなくてもいい。手作りでよいから作成して、それをJRの駅に置いてほしいものだと思う。そうすれば、市町村にとってもPRになるし、町興しにもなる。JRにとっても損にはならないし一挙両得だ。地域住民にとっても、我が町を再認識するきっかけにもなるし散策にもつながる。出かければお店にも入るだろうしお買い物もする。健康にもよい。ささやかなことながら、いいことづくめではないか。
これまでわたしが旅行などに出かけて駅でもらったパンフレットのうち便利で感心したのは、富山市の荒瀬浜のお散歩マップ、松山市の文学マップなど、これらは一枚物の手作り感がにじみ出たものだったが、詳細なもので、作り手の知識の深さが思われ、また実際に歩いてみて楽しいものだった。広島駅でもらった北山山麓の寺社のマップも実に充実していた。名だたる名所旧跡というわけではなくても、語っていただくだけの由緒・来歴はあるのだ。この広島のパンフレットは写真入りで実に立派なものであった。
わたしは、計画して少し遠くに出かけるときなど、市町村の観光案内所や文化課にお願いして町歩きのパンフレットを送付してもらったりする。たいていの市町村では、立派なものから一枚ものまで、よく揃えておられる。
駅に置いておくのは、それらの一部でいいし、内容から抽出した簡略版でもいい。ぜひとも駅頭で手軽に手に取れるようなものを作成しておいて、置いていただきたいと切にお願いしたい。JRだけでなく私鉄の駅にあっても。
このように、市町村の観光案内所と、JRや私鉄各社の観光部署とが協力して作成すれば、両社にとってもメリットはあると思うし、旅行者にとっても住民にとっても、役立つことになる。三方も四方も良し、と思うのだがいかがであろうか。 2022年5月29日記