ブログ・エッセイ


家庭菜園、腰痛、農具小屋、解体

冬場を迎え、家庭菜園も農閑期になった。畑に行っても、作業といえば、少しの草抜きと、白菜や大根などの収穫ぐらいで楽ちんな時期だ。だけれど今年の農閑期はなかなか忙しく過ごすことになった。畑の農具小屋を解体する作業に掛かったからである。
10年ほど前、近くの友人と老後を楽しく過ごすため、今の場所に4人で農地を借りて家庭菜園を始めたのだが、その時に勢い込んで作った農具小屋だ。4,5坪ほどの小屋なのだが、それがひどく痛んできて雨漏りもひどく農具小屋の体をなさなくなってしまった。そこで結局壊すことにしたのだった。
というのも今は三人でやっているこの家庭菜園、昨秋にその一人がひどい腰痛を発症してしまい、一時は動けない状態にまでなってしまったのだ。そして、もう来季の畑の継続は無理かもしれない、たぶんやめることになると、不穏なことを言う。もしかれがやめてしまえば、今の120坪ほどの畑を残り二人でやらなければならない。さすがにそれは無理じゃないかと考え、ならばわたしたちが少しは動ける間に小屋を解体してしまおうということになったのだ。
家庭菜園から撤退するとしたら、この農具小屋を壊して更地にして畑を地主に返さねばならない。残り二人のどちらかが具合が悪くなって菜園をやめるということになったら一人で小屋を撤収しなければならなくなる。それは困るなとと一気に不安になってしまい、解体することになったのである。
昨秋に動けなくなった件(くだん)の腰痛友人は、今はすこし快方に向かっているものの、それでも依然としてギブス生活で、来期の畑作業が危ぶまれる状況だ。そしてもう一人の畑友人もぎっくり腰を抱えていて無理はできない。昨年夏の終わりにも、時々出るぎっくり腰が出て数日寝込んだという。それ以降は怖くなって、自分の眼の高さから上の物は取らないようにしているとか。
腰痛自慢じゃないが、わたしとて坐骨神経痛風の腰痛を持っていて、根を詰めて机仕事をするとてきめんに出てくる。われら畑仲間三人は、正真正銘の腰痛老年トリオなのである。
そんなこんなで、小屋を解体することが決まったのだが、そうなると作業は、三人の中でいく分かは動けるわたしが主にならざるを得ない。仕方がない。そこで、まずは屋根と周囲に巻いてあるテント生地を剥いでゴミに出せるように切って折りたたんでいった。それから天井の波板を剥すためにドライバーでねじを外していく。次に屋根と周囲の材木を留めてあるモクネジを外し、打ち込んである釘はやっとこで外していく。。壁に使っていたベニヤの合板は掛け矢で一たたき二たたきして取り外し、最後に周囲に立っている杭も抜いていった。
こうした作業をしていて気づいたのだが、ドライバーでネジを抜いていくのも、やっとこで釘を抜くのも、掛け矢でベニヤをたたいて外していくのも、どの作業もみな腰に力が入る。わたしも腰痛はあるし、根を詰めて作業をすると背中や肩が痛くなるから、ともかく無理はできない。焦らず少しずつやっていく。少しずつでも毎日やれば、そのうちに終わるだろうと、そう考えて気長にやっていった。
「年末も正月もなく」、ともかく毎日散歩をかねて畑まで歩き、波板剥し、釘抜き、合板剥しに勤しんだ。そして1月10日ごろ、ついに更地にまで持ち込むことができた。あとは、まだ木切れや杭に残っている五寸釘を抜くこと、それらを少しずつ畑で燃やしていくことだ。
五寸釘を一本一本抜いていてまたまた実感したことだが、小屋を造作する際、材木に釘を打ち込む仕事は簡単だし気持ちもいい。作っているという充実感もある。しかしながら解体作業で釘を一歩ずつ抜いていくのはなかなか大変だ。後ろ向きの仕事だし切ない。組織でもなんでもそうなのだが、作るのは簡単、壊すこと仕舞うことが、実に難しい。黄昏時だなと実感するものだから、ますます寂しい。
とはいえ、この農具小屋仕舞いもおおむね山を越えた感がある。五寸釘を抜いて行って少しずつ畑で燃やしていけばいい。これでいつでも畑から、撤退・退却・逃走・遁走・退出できるぞと思うと、気持ちがずいぶん楽になった。車をやめて免許証を返納したとき、これで車を運転しなくても済むぞと、ほっとしたのと同じ気分だ。
来期はどうなるかまだ分からないが、気楽に構えて、あまり深く耕さなくてもいいような野菜を中心にやっていってもいいかなと思ったりしている。もしも一人がやめて二人になってしまったとしても、カボチャやサツマイモなど、手のかから作物を、ぜいたくに土地を広く使ってやっていけばいいかなと思うようになった。そして、しんどくなったら、これで心配なく大きな作業もなく、すぐに退出撤退退却遁走することができるようになった。 2022年1月19日 記