ブログ・エッセイ


老後の趣味、クラシック、ジャズ、シャンソン、ワルター、リヒター、アンセルメ、バルバラ、コラ・ヴォケール

老後の趣味や楽しみのなかのひとつに「音楽を聴く」というのも入れてよいかなと思う。音楽ならおおむねなんでも聞くタイプだが、レコードやCD、テープなどで持っているものはといえば、クラシック、ジャズ、シャンソンの三ジャンルがメインだ。
ジャズについては、大阪梅田のジャズ喫茶ファンキーでアート・ブレーキ―の「アフリカンビート」を聴いたのがきっかけだった、ということはすでに書いた。ジャズの音源は、基本的にはレコード盤である。ジャズレコードのジャケットの味が捨てがたいということ、ジャズ喫茶には音でも雰囲気もかなわないが、プレイヤーに針を落とすという動作により、その雰囲気に少しだけ入り込めること、に拠っている。
ジャズは、おおむね、チャーリー・パーカー、チャールス・ミンガス、エリック・ドルフィーといった筋で聴いてきたから、レコードも増えないし、現代のジャズへの継続性・発展性などはない。それでもインターネットラジオのビ・バップ系のものを聴いたり、持っているレコードを繰り返し聴いて楽しんでいる。持っているオーディオもジャズの音が比較的よく鳴るのでそれもありがたい。
シャンソンは高校時代に蘆原英了の解説でラジオの「午後のシャンソン」を聴いたのがきっかけになって、蘆原の影響で、せーヌ左岸派というのか、文学派シャンソンを好んで聴いた。バルバラ、コラ・ヴォケールがふたつの核だ。これも基本的にはレコードが中心だから、新しいところを含めてほとんど増えていかない。
クラシック音楽はどうだったかなと考えてみた。小さいころ、家には電蓄があった。わたしが高校生だったころには結構大きなパイオニアのセット物のステレオがあった。父親が新しもの好きだったのであろう。
クラシック音楽を意識して聴きはじめたのは中学生になってからだった。中学の友人が学校の放送部に属していて、わたしもかれについていって放送室に出入りしていた。そこにはクラシックのレコードが、そんなに多くはなかったが置いてあって、プレイヤーもあった。それを時どき自分でかけては聴いていた。放送室には施錠がされてなかったから、日曜日になると中学に出かけて行っては、ここでレコードを聴いたりもした。当時は日曜に出勤する先生もいなかったし、時おり日直の先生が「だれだ?」と言ってドアを開けたりもしたが、ああレコードを聴いているのかといって、そのまま見逃してくれた。まことに大らかな時代だったといわねばならない。ここで聴いた音楽は、定番の「運命」や「未完成」など交響曲、チャイコフスキーやメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、またピアノ協奏曲などだったと思う。
小学校高学年から中学生まで、名古屋で音楽の習いごとをしていたから、週に一度は電車で10分ほどの町から名古屋に出かけていた。その帰りに時どきだが、栄から広小路通りを少し名古屋寄りに歩いたところのレコード屋に寄り道した。名前は忘れたが、「名曲堂」といったたぐいの名前だったと思う。ここで初めに買ったものはソノシート版のロシア民謡6巻物だ。これは今でも持っている。レコードは高かったからまずはソノシートを買ったというわけだった。中学時代だったかと思う。
名古屋の高校に通うようになってからかも、このレコード店にはよく行った。そしてそのころに買ったはじめてのレコードは、ブルーノ・ワルターとコロンビア交響楽団(1958年)のベートーベン「田園」だったと思う。いや違うかな、買ったのは5歳年上の兄だったのかもしれない。兄も音楽好きだった。いずれにせよこの時期にはワルターの「田園」をよく聴いた。今から考えてみて、これは「よいレコードに当たった」と言わねばならない。何度も聴いたが飽きなかった。こころ優しい、温かな演奏だと思う。これで自分のクラシック音楽の好みが方向づけられた。しあわせな出会いだった。
そしてもう一枚、これはなぜ買ったのか記憶にないが、ハイドンの「戦争ミサ曲(パウケンメッセ)」だ。これは自分で買って幾度も聴いた。なぜミサ曲かという のもよくわからないのだが、なにか宗教音楽といったものにあこがれを持っていたのだろう。レコードは、モーゲンス・ウェルディケ指揮ウイーン国立歌劇場管弦楽団・ウイーン室内合唱団、ソプラノがネタニア・ダブラッツ、アルトはヒルデ・レッスル=マイダン、テノール アントン・デルモータ、バスがワルター・ベリーで 、1965年の版だ。
そのほかにもいろいろ聴いたが、そのうちの一枚はエルネスト・アンセルメ指揮、スイスロマンド交響楽団のリムスキー・コルサコフ「シェラザード」だ。全編にわたってバイオリンのソロが優美で、このメロディをいつも口笛で吹いていた。
そしてもう一枚は、ピエール・モントゥー指揮、ボストンフィルのチャイコフスキー「交響曲第6番 悲愴」だった。今となっては、「若気の…」という気持ちがぬぐえないが、チャイコフスキーの「これでもか」という旋律に高校生のわたしは参ったのだと思う。「悲愴」というタイトルに自身を同化し、悩める思春期の真っただ中にあった、ということか。大学生になってからは、この「悲愴」だけでなく、チャイコフスキーも自分から進んでは聴かなくなった。
老年になった今では、あまりこだわりもなく、あれこれと考えることなく何でも聴く。仕事をしていても音楽は鳴らしているが、そんなときにはバッハがちょうどよい。それでも最近の演奏は、演奏者の技術もあがって、これでもかと聴き手を追い込んでくる演奏が多いように思う(個人の感想です)。テンポを上げて追い上げて、最後に、 “どやっ”という感じで終わる演奏もある。これじゃ吉本のパチパチパンチの島木譲二ではないかと思ったりする(まったく個人の放言妄言です)。
ところで、だれのどの曲が好きかと聞かれると、答えるのはなかなか難しいが、まあ、ベートーベンという存在を意識し、作曲を躊躇した末にようやく発表したというブラームスの交響曲第1番だと言うかな。
だれのどの曲が素晴らしいかと問われると、月並みだが、ベートーベンの交響曲5番、6番、7番と答えたい。そしてこの「素晴らしい曲」のなかに、かの6番(田園)が含まれている。そのことに対してわたしは、ブルーノ・ワルター氏にあつくお礼を言わないといけないだろう。
こころに残る曲は何かというと、バッハのマタイ受難曲。これは、カール・リヒターが来日した1969年の春に、兄から切符をもらって大阪フェスティバルホールで聴いた。大学3年のややこしい時期だったが、これだけは何としてでも行かねばと思って出かけて聴いた。
「シェラザード」も、アンセルメが来日したときに京都で聴いた。シャンソンのバルバラもコラ・ヴォケールも、来日の都度、二度三度と聴いた。
わたしはどちらかというと、生演奏よりもレコードで聴く方が好きなタイプで、コンサートなどあまり行かないのだが、それでも、好きだと思っている歌手や指揮者の演奏会には思いのほか出かけているんだなと、いまさらながら思ったことである。 2021年11月18日記