ブログ・エッセイ


琵琶湖一番丸、一庭啓二、蔵書の整理、蔵書の処分、複写物の製本と背表紙掛け

琵琶湖一番丸船長一庭啓二の評伝を書いているところだが、一休みして、仕事部屋の本や資料を整理することとした。
資料整理の基本方針は、本については、どこかの図書館に所蔵があるものについてはできるだけ処分をしてしまう、新たに本などは購入しない、複写物などは、もう一度複写するのは面倒だしお金もかかるから要ると思うもだけを厳選して持っておく、というものだ。
これまで家の引っ越しや、職が大学へ変わってからの移動、違う大学に移籍したことからの移動、退職して自宅への移動と、幾度も本を持ちまわってきた。
もちろん、その都度幾分かは処分し、ノート類や複写物もいらないと思ったものは捨ててきたりもした。だが、ノート類や複写物は、今になって、思いがけず原稿依頼があったりして入用となり、激しく後悔もした。そんな経験から、定年後に家へと資料などを動かすときは、本は思い切って古書店にお願いして持って行ってもらったものの、ノートや複写物は家に持ち帰った。
そして本のうちでも、今後まだ使うと思われる満洲など外地図書館関係のもの、京都関係で老後に楽しみで読もうと思っていた資料などは家に持ち帰った。すいぶん処分をしたのだが、それにもかかわらず、わたしの自費出版や科研の生産本、また何部かを買い取る条件で出版した本なども含め、七畳しかない仕事部屋や、裏庭に設置した物置も、本と資料だらけとなってしまった。仕事部屋は、書架を縦・横・斜めと迷路のように入りこみ、天井まで積み上げて、結局身動きなどできない状態になった。それでも、仕事で使う資料やコピー類は手近な書架にいれてなんとかここまで凌いできた。
ここにきて、もう一度基本方針にもどることとし、京都関係の本、書誌学関係の読み物や研究書は少しずつ処分することとした。老後の楽しみの京都関係の本、といっても、些事にまぎれて、結局あまり見ることがないことも判明し、これらも整理することとした。書誌学関係の本は、どこかの図書館には所蔵がある。
だが、元図書館司書だったわたしには、本を捨てたり、廃品回収などにも出しがたくて、どこかの図書館に寄贈できぬか、だれかもらってはもらえぬかと、思い悩む。「子孫永保」などとは夢思わない。「手沢の念を排して」、「酒に替えるもまた可なり」と考えて処分したいのだが、今のご時世、古書店もなかなかきびしい。
そんなことを考えながら、それでも、いまようやく180センチ高のスチールの書架一本分をなんとか整理して、書架を部屋から出した。書架一本だが、それでもだいぶ見通しもよくなり、机の左右から奥へと進めるようになった。やれやれである。一本書架を放り出すだけこんなに見通しが良くなるのならと、今一度決意を固めて、もう一本を整理することとし、いま、必要な複写物は大ホッチキスで綴じ、背表紙をつけて、テプラで題目をつけていっている最中である。がんばらねば。 (2017年8月20日記)