ブログ・エッセイ


津端亨『ふたりからひとり』、津端修一、つばた英子、『現代短歌分類辞典』

月に一度の絵の例会から帰ってきた奥方が、友人から本を一冊借りてきたという。面白そうなのでざっと拾い読みをしてみた。つばた英子 つばたしゅういち『ふたりからひとり』という本だ。
「しゅうタン」と呼ばれる夫が亡くなって以降のことを綴った本なのだが、生前の二人の、創意と工夫に満ち満ちた手作りの生活を送ってきたことなどがうかがえて実に面白かった。いたわりあって生きてきた老齢二人の生活は、まことに心にしみるものがある。
ところでわたしは、「親父のこと しゅういち」とある項目で、「親父」つまり津端修一が父君のことを書いているのに目がとまった。
明治大正昭和の時代の短歌を分類して辞典をつくるために、父親はいつもカードに歌を書いていた、と書かれてあるのをみて、ひょっとして「あの津端亨」かと思ったのだった。
わたしが大阪府立図書館に司書として勤務したのは1973(昭和48)年4月からのことで、中之島図書館の集書係という部署に配属されて本の購入のしごとにあたっていた 。そのとき購入手続きをしていた本に、この津端修一の父君である津端亨のこの短歌分類辞典があったことを思い起こしたのだった。
図書館での本の購入の多くは、書店経由の本で、出入りの書店から搬入される本から選書をする。しかしながら、この津端氏の短歌分類辞典は、自費による刊行だったから 、「一社一件」扱いといって、発行者から直接請求書をもらって、一件ずつ「伺いの書類」を作らねばならない。その起案文書は、係長ー課長-部長、そして総務系の会計担当者から館長まで上げていかねばならない。
書店経由(取次ルート)の本は、何十冊百冊二百冊の本の明細を付ければ、かがみを付けたら一件扱いで処理することができる。ところがこのオレンジ色の小型の短歌分類辞典は一社扱いである。一冊ごとに伺書類を付けなければならない。二、三か月に一度ぐらいだったかに送付されてくるこの辞典については何度か購入・支払いの手続きをしたことがあるから、いまでもよく覚えている。「営々と」という言葉がふさわしい、地道な仕事だなとその時に思った記憶もある。
先の『ふたりからひとり』によれば、修一氏が亡くなってしばらくしてから、津端修一の娘さんが全60巻を国会図書館に見に行ったとある。その気持ちはよく理解できる。関連の本が所蔵されているか、どのように処遇されているか、気になるものである。
ちなみにわたしが勤めていた大阪府立図書館のOPACを確認してみたところ、ちゃんと全冊の所蔵があった。わたしが集書係の担当を外れてからも、何人かの担当者が営々と書類を作って購入手続きをしてくれたのであろう。
各地の府県立の図書館や大学図書館にも、1954年からご自身で刊行されて頒布された『現代短歌分類辞典』は所蔵されていて、共同レファレンスなどをみても活用されている模様である。
ともあれ「親父のこと しゅういち」の「親父」というのは、津端修一氏の父君で、『現代短歌分類辞典』の津端亨氏であることはまちがいない。修一が、明治大正昭和の時代の短歌の分類辞典を作成するのにいつもカードに歌を書きつけていたという父親は津端亨であったのだった。
たまたま奥方が借りてきた本だったが、そのなかで、わたしが図書館司書として働きはじめたときに扱った『現代短歌分類辞典』の津端亨氏に出会うなんてと、なんだかとても嬉しくなったのだった。(2017年7月25日記)