ブログ・エッセイ


家庭菜園、収穫、野菜下洗い、副菜づくり

2016年9月12日

この夏も暑かった。加齢のせいもあるが、やはり地球が暑くなっているのは確かだ。

夕方でも畑はまだまだ暑いので、例年通りなるべく早く寝て、早朝に畑に行くようにしている。歳をとって朝は早く目が覚めるから、早朝の畑通いにはちょうどいい。

とはいえ、8月の下旬に、歯痛・歯茎通と顔のひどい腫れもので、ずいぶん痛い思いをした。猛暑の疲れだろうと家人も友人もお医者さんもおっしゃる。まあその通りなんだろうけど、この畑通いと、野菜の処理と、自分の勉強や原稿作りは、マイペースでやっているはずだから、やはりこれ以外の要因が入り込んで、オーバーワークになったんだろうというのがわたしの観測だ。来年からは、このどうしても入って来る自分の仕事以外の用事の余力も残しておかないといけないな、というのが今年の夏のわたしの反省だった。

今年の菜園は、きゅうりと茄子が豊作だった。だがきゅうりは、一時で、もうぱたっと収穫は無くなっている。一時期はきゅうりばかり食べていたが、それが嘘のように、いまはない。茄子は、肥料をやり続けているから、秋茄子も期待できる。だが、夏を越しいわば歳を取って疲れてきているはずの茄子に肥料をやって、もう少し頑張れ、実をつけよ、と叱咤激励するのも、今の歳の自身のことを考えあわせると、いささか切ない気もする。ともあれ今の時期は、この叱咤激励の茄子と、オクラと、ピーマンと、空芯菜と、モロヘイヤと、ツルムラサキ、それにゴーヤだ。

野菜がだぶついて冷蔵庫がいっぱいになってくると、これは菜園をやっている自分の責任なので、料理しないといけなくなる。茄子はもっぱら、お揚げさんとの煮びたし、モロヘイヤはちりめんじゃこやアミをいれてオクラを切り込んで出汁で溶いて卵を奮発してお焼きにする。ツルムラサキはお浸し、空芯菜は炒め物やスープに入れたり。これらが定番だ。

問題はゴーヤ。例年、畑に白と緑のゴーヤを計2本ほど植える。それに家の南側にグリーンカーテン。下手な自分でもこれで十分の収穫だが、想定外だったのは、昨年のこぼれ種が畑で3本、芽を出してきたことだ。冬を越して健気に芽をだしてくれた実生の苗も捨てるわけにもいかず、この3本を畑に植えたところ、ともかく出来てしまう。小さくても捨てないからたまって来る。

作ったものの責任上、何とかしないといけないので、ゴーヤチャンプル(豚肉・厚揚げ・豆腐などのバリエーション)、ゴーヤの佃煮、ゴーヤのサラダ、ゴーヤカレー(トマトやトマトホール缶で煮込んでチーズ掛け、また普通のカレーも)。これでも捌けないから最終手段は、ゴーヤ茶を作る。まあそれでも限度はある。

この野菜の処理は、自分の予定内の仕事だというのがわたしの認識なのだけれど、やはり、これがけっこうストレスになったのかもしれない。

だが仕方がない。こうした家庭菜園と野菜の処理、副菜づくりなどの、いわばスローライフも含めて、自分の生活なのである、と心に定めているから。そしてこうしたことは、自身の研究や原稿作りにあたって、底の底の、どこか見えないところにでも、自分にとっては大事なものとして流れているのかもしれないと思ったりもしている。