ブログ・エッセイ


京都ノートルダム女子大学卒業ゼミ生同窓会。生洲、仲源寺、正面通、高瀬川付け替え

一昨日(5月21日)は第三土曜日で久しぶりに緑懇会に参加した。10時集合で水間寺とその裏山の自然林などを歩いた。森や林の変遷、人の手が入った林、そして人の手が入るといっても人工的というか意図的というかそんな植林がなされた林など、それぞれ説明を受けた。いつもながらよい勉強になった。お世話いただいている先生方には感謝である。またその、いわば大先生(おおせんせい)の「お弟子さん」である女性の若先生、わたしとは学部は違うがノートルダムの卒業生で、ことしめでたく教員採用試験に合格したと聞いた。嬉しい知らせであった。このように里歩きを体験して実地で知識を蓄えた先生が教育現場に立たれるということはほんとうに喜ばしいことだ。

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昨日(5月22日)は、わたしの卒業ゼミ生が誘ってくれて同窓会だった。昼ご飯を木屋町押小路の路地を東に入ったお店でいただいた。鴨川に面した床だった。昨年も呼んでくれたので彼女らの消息はだいたい知れていたが、その後のことなど近況を交えながらあれこれと楽しく語らった。みな仕事に励んでいてなかなかたのもしい。今回はゼミ生6名のうち5名の参加、卒業して7年だという。

食事を終えたあとは少し町歩きをするという話になっていたので、事前にコピーして来た『都名所図会』の挿絵で、お店の前あたりの、「生洲」(いけす)」のことを説明したりした。名所図会には「生洲は高瀬川筋三條の北にあり」、と記されているので今のがんこ寿司の源流から取り入れられて川筋を成した高瀬川の三条小橋の北あたり、ちょうどお店からでた辺りなのであろう。

二条通から左回りで日銀・旧京都ホテル前を通ってホテル南側の長州屋敷跡、勧業場跡の石碑の前で明治維新期の京都の近代化の話をしたりしながら、高瀬川を流れに沿って歩いて下ることにした。途中、四条通を東に向かって四条大橋に出て、名所図会にある四条河原にぎっしり並んだ小屋の挿絵を見ながら往時をしのび、おなじく挿絵にある井筒の八つ橋、北座あたりに出た。そこからもともと「雨やみ地蔵」と言われいまは「目やみ地蔵」として名高い仲源寺にお参り。これは『花洛名勝図会』に挿絵がある。卒業ゼミ生のうち三人は朱印を集めている。朱印帳をだして朱印をもらい、寺をあとにした。

高瀬川の流れにもどってさらに南下。少し疲れてきたので五条通あたりでお茶にした。近くの「料理旅館鶴清」の宴会流れのお客さんであろうか、年配の人たち十数人が入ってきて店はたちまちいっぱい、そして賑やか。負けずに大声でしゃべってまたまた疲れたがもう少し高瀬川をくだらなければならない。

五条通を越えて正面通の正面橋あたりで立ち止まって、通り東の突き当りにある方広寺、豊国神社のことを話した。そういえばこの学生のゼミではフィールドワークということで方広寺や豊国神社、門前の大仏餠のこと、また耳塚や三十三間堂の太閤塀などを名所図会のコピーを手にしてを歩いて回ったことがあり、そのフィールドワーク報告文章を大学のホームページに書いた覚えがある。いま確認してみるとわたしは退職後であるのだが、彼女らと廻ったこのフィールドワーク報告文が載っていた。

もうすこし南下して東海道線の北あたり、高瀬川の付け替えがなされたあたりに出た。この高瀬川川筋のいわゆる付け替えは、その工事が始まったころからよく歩いて確認していたのでだいたいがわかっているつもりだったが、それでも以前の様子は薄れてきていて、だんだんと昔の流れはわからなくなりつつある。

昔の流れと付け替え後の流れが合流する箇所にでて、少し行くと東海道線の鉄道の下にでる。それをくぐって南側にでると、ここはJR奈良線、東海道新幹線、東海道線すべてが見られるスポットだ。あまり関心のなさそうな元ゼミ生らをよそめに、二度三度とこの三列車がすれ違ったりしているシーンを眺めて楽しんだ。

夕方になり福知山に帰る者もおり、暑さのなか疲れてもしてきたので、ここを終着地点として八条口に向かった。西口の改札口あたりで散会、この時点で万歩計をみてみると1万5000歩、まずまずよく歩いた一日であった。                                                              2016年5月23日記