ブログ・エッセイ


岡野他家夫と旅順高等学校、坂田實と鮎川義介

外地図書館員の事績を辞典にしたいと考えて目下作業中なのだが、なかなか終了しない。
もうすでに終盤に差し掛かっているのは確かで、いつ終えるかは自分の決断次第だと思っているのだけど、巷では資料のデジタル化が急ピッチで増加していて、たとえば国会図書館のOPACを見たりすると、雑誌がどんどんデジタル化され、本文は配信館でしか見られないにしても、その目次が順次掲出されていて検索するとその記事に当たったりする。

そうするとそれも見ないわけにはいかないかと思い、またまた時間が経過して〈完了〉の決断が鈍る。

ある資料が近くの図書館にはなくて、国会図書館東京館から関西館へと取寄せてもらおうと思い、しばらくメモを握りしめているのだが、あれこれしているうちに、それが早やデジタル化されていく。便利にはなった。

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だけど、年寄りの常套の言い分だが、デジタル化資料はどう考えても現物の本の持つ一覧性には及ばない。例えば『職員録』や人名録なども、わたしの検索が下手なのだろうけど、人物まで到達するのにひどく時間がかかる。
そしてやっと複写して読もうとして、眼鏡をはずして紙面に最接近させても判読できないものもある。とはいえまず便利になったのは確かだ。
検索語で調べてみても、特定の人物や事項にうまく当たったりする。ファインディングというのか、それには至極便利になった。

便利になったのだが、と、また年寄りはまた考える。
デジタル化資料は、あれこれ、あちこち寄り道したりよそ見したりする分にはちょっと不便だと。
これからの研究なるものも、なんだか事項を特定したそんなファインディングによるものが主流になっていくのだろうか。
その結果、ぶらぶらと書庫を見たりして目的の本の隣によい資料があったり、ある特定の資料でも、ページをめくっていて思わぬ発見があったりしたものだが、ピンポイントで資料に到達して、尾ひれなどが付かなくなってしまうとしたら少し味気ないかな、などと思ったりする。
まあ月並みな議論だけど。
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と、あれこれとつぶやきながら、国会図書館のデジタル化データで、『旅順高等学校一覧 自昭和16年4月至17年3月』(旅順高等学校編刊 昭和16年)を見ていたら、岡野他家夫という人物がでていた。

昭和15(1940)年8月旅順高等学校書記となり図書課課員、昭和16年8月退職とある(『旅順高等学校一覧 自昭和16年4月至17年3月』旅順高等学校編刊 昭和16年)。
このあと高等学校の図書館には裏川吉太郎が転任してくることになるのだけど、どうなのかな、岡野他家夫。
珍しい名前だけど。

辞典を作っていて、外地時代の人物と、たとえば戦後の人物が同一人物かなと、不安になったりするわけだ。

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近頃しらべた坂田實についてもそうだった。
鮎川義介の追悼録に書いている人物と同一なのだと思うが、どうなんだろうか。
鮎川が創設した満洲飛行機製造に坂田も勤務していてまずまちがいなく同一人物と思ってそのように書こうと思っているのだが、100パーセントの確証はない。

坂田實

明治41年大阪市の生まれ。
仁川南公立商業学校を卒業。
大正15(1926)年京都帝国大学法学部経済学部図書室に勤務、昭和3(1928)年京都府立医科大学図書館に転任。
昭和12年12月に満洲重工業開発の総裁となった鮎川義介が昭和13年6月に創立した満洲飛行機製造株式会社に昭和14(1939)年2月に入社し企画部調査課に勤務、奉天市に住まう。青年図書館員聯盟会員(「本号寄稿者住所録並ニ略歴」『圕研究』昭和7年4月、「寄稿者名簿・略歴」『圕研究総索引』(自第1巻至第16巻 昭和3年‐昭和18年)青年圕員聯盟)。

戦後は鮎川義介事務所に勤務、鮎川総裁秘書役(「鮎川先生ご臨終の記」『鮎川義介先生追想録』同編纂委員会 昭和43年)。

不安だらけだが、ともあれ刊行してしまうかな。